大塚敏彦
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1984年のフジサンケイクラシックでは初日をテリー・ゲール(オーストラリア)、尾崎直道・鷹巣南雄・草壁政治と並んでの8位タイ[2]でスタートし、2日目には鷹巣と共に謝敏男(中華民国)・青木功と並んでの5位タイ[3]に着けた。
1984年の千葉県オープンでは初日に金山和雄・泉川ピート・久保田剛司・須貝昇と共に69をマークし、松井角次・文山義夫・額賀靖生・中山徹・池原厚・松本紀彦・吉武恵治に1打差の首位タイでスタートした[4]。
1989年のよみうりサッポロビールオープンでは初日を倉本昌弘・稲垣太成・上野忠美・三上法夫・山本善隆・新関善美・室田淳と共に3アンダー69の10位タイ[5]、1990年の第一不動産カップでは初日を木村政信・上西紘暉・倉本・加瀬秀樹・泉川ピート・藤木三郎と共に4アンダー68の6位タイ[6]でスタートした。
1990年の三菱ギャランでは初日を3アンダー69で野口裕樹夫の2位[7]でスタートすると、2日目にはロジャー・マッカイ(オーストラリア)の2位[8]と健闘。
1990年にはNGAオープンで優勝し[1]、1991年の兵庫県オープンでは奥田靖己の2位[9]に入った。
1992年にはポカリスエットオープンでは初日69・最終日67と3日間中2日も60台[10]をマークし、日経カップ 中村寅吉メモリアルで初日を須貝、バレント・フランクリン(カナダ)、エドアルド・エレラ(コロンビア)と共に3アンダー69の3位タイ[11]でスタートした。
1992年の全日空オープンでは初日を高見和宏・中村彰男と共に3アンダー69の3位タイ[12]でスタートし、2日目には横島由一・エレラ・倉本・長谷川勝治・海老原清治と並んでの9位タイ[13]に浮上すると、3日目には岩下吉久・陳志忠(中華民国)と並んでの5位タイ[14]に着けた。
1995年のNST新潟オープンでは初日を溝口英二・坂本義一・白潟英純・植田浩史・飯合肇・丸山智弘と共に3アンダー69の6位タイ[15]でスタートし、1999年の宇部興産オープン[16]を最後にレギュラーツアーから引退。