長谷川勝治

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生誕 (1946-05-03) 1946年5月3日(79歳)
身長 168 cm (5 ft 6 in)
体重 73 kg (161 lb)
国籍 日本の旗 日本
長谷川 勝治
Katsuji HASEGAWA
基本情報
生誕 (1946-05-03) 1946年5月3日(79歳)
身長 168 cm (5 ft 6 in)
体重 73 kg (161 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県
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長谷川 勝治(はせがわ かつじ、1946年5月3日 - )は、千葉県出身のプロゴルファー。  

1967年、20歳の時に[1]プロ入り[2]

小柄で非力なタイプ[1]でスイングを工夫し、フォローで右肩を押し出すようにした独特の型を作り上げたほか、師と仰いだ宮本留吉から弾道の低いパンチショットを学ぶ[2]

1977年三菱ギャランでは初日に7バーディー、1ボギーと快調のプレーを見せ、6アンダー66で首位に立った[3]

1978年ジーン・サラゼン ジュンクラシックでは2日目には67をマークして内田繁河野高明草壁政治と並んでの2位タイ[4]に浮上し、3日目も内田・草壁と共に首位に飛び出した海老原清治と2打差2位タイ[5]に着ける。最終日には大混戦になった優勝争いで内田袈裟彦菊地勝司と三つ巴[6]のサドンデス・プレーオフにもつれ込み[7]、プレーオフはまず2ホール目で長谷川がボギーを叩いて脱落し、菊地と並んでの2位タイ[7]に終わる。

1979年千葉県オープンでは2日間60台の135で首位を守り、日吉定雄草壁政治小林富士夫窪田茂竹安孝博を抑えて優勝[8] [9]

1980年静岡オープンでは初日を謝敏男中華民国)・山本善隆森憲二堀口渡と並んでの10位タイ[10]でスタートすると、3日目には強風が名物のコースで特技を生かし[2]、8バーディー、1ボギーで65のコースレコードを出す[11]。通算6アンダー210で前日15位から一気に首位に躍り出し[11] [12]、最終日には後半になって38とやや乱れたが[13]、通算5アンダー283で2位の前田新作を1打差抑えて[13]、プロ14年目[14]での初優勝を飾る[2]

1981年日本プロマッチプレーでは過去2度とも1回戦で負けていたため、初日で負けると決めてかかり、着替えの手持ちは無かった[15]。初日終了後、一度、千葉の自宅に帰って出直し、勝ち進んで進出した決勝では青木功と対戦[15]。冷たい雨が降り、5月とは思えないほどの寒さの中で行われた決勝は、前半で青木に最大3アップのリードを奪われるが、長谷川は驚異の粘りを見せる[15]。じりじりと盛り返し、後半の6番からは怒涛の3ホール連続奪取するなど、逆に2アップとリードしたが、続く9番で長谷川の1m強のパーパットがカップに蹴られた[15]。10番で青木がバーディーと瞬く間に振り出しに戻ったが、11番で長谷川がバーディーを奪い、再びリードすると、15番で青木が追いついた[15]。一進一退、勝負はどちらに転ぶか予測できない状況であったが、17番で青木がパーを逃した後、長谷川が1.5mのパーパットに臨んだ[15]。決めれば残り1ホールで1アップと、俄然、有利な立場となるが、長谷川のパットはカップに届かなかった[15]。18番は共にパーに終わり、決勝では大会初の延長に入った[15]。延長1ホール目は共にパーであったが、2ホール目の15番で長谷川がボギーを叩き、8時間にも及んだ計38ホールの戦いはついに決着がついた[15]

青木と五分に渡り合ったのが大きな自信になり、よみうりオープンではマッチプレーで青木と雨中で8時間もの熱戦を展開した疲れは残っていたものの、2日目には68をマークして[16]初日18位から4位と急上昇[17]。14番で第2打をバンカーに入れてボギーとした以外はミスもなく、ショット・パット共にほぼ完璧であった[17]。3日目も3アンダーとスコアを伸ばして鷹巣南雄と共に謝永郁(中華民国)と首位タイで並び[18]、最終日には謝永・鷹巣に次ぐ3位[19]に入った。

静岡オープン優勝でシード入りを果たすが、僅か2年後の1982年にはシード落ち[2]1983年にすぐ再シードを果たし、以来ツアーで優勝は無いものの9年間守り通した[2]

1984年太平洋クラブマスターズでは2日目の17番でホールインワンを記録して賞金242万円を獲得するなど、67の好スコアをマークし、草壁・杉原輝雄と並んでの10位タイに着けた[20]

1988年のインペリアルトーナメント[21]では初日にショットが好調で1イーグル、4バーディー、2ボギーの4アンダー68をマークし、単独首位に立った[22]。最終日には14番を終えた時点で5アンダーも15番でトリプルボギーと乱れ、結局1アンダーで尾崎直道田中泰二郎川俣茂と並んでのプレーオフにもつれ込む[23]。プレーオフは最初の18番で尾崎直・川俣がボギーで脱落し、3ホール目の17番で長谷川がバーディーを奪って若い田中を突き放して優勝[23]

1992年にはツアーランク84位まで落ちてシードを再び失ったが、ツアー出場予選会35位に入り、1993年ツアーは30試合に出場[2]6月には3日間に短縮されたよみうりサッポロビールオープンで、初日に65でトップに立ち、2日目も70と激しい僅差の競り合いの最終日も68と3日間アンダーパーを並べ、賞金王になった飯合肇に並ばれたが、プレーオフで振り切ってツアー2勝目[14]を挙げる[2]。13年82日ぶりの勝利となり、現在も国内男子ツアーのブランク優勝の記録で歴代1位の記録となっている[24]。年齢、体力からいってパワーこそ感じさせないが、ショートゲームの巧さは全く衰えを見せなかった[2]

1994年まで9年連続シード入りし[25]1996年からシニア入りすると、安定したゴルフでランキング上位をキープ[25]するなど、同年から10年連続シード選手として活躍[14] [1]

シニア2年目の1997年の日本メディアシステムカップでシニア初優勝[25]を果たし、2000年日本プロ[26]を最後にレギュラーツアーから引退。

2002年アデランス2位、日本プロシニア4位、ファンケル7位タイなど出場10試合中6試合でトップ10に入り、賞金ランキングでも2年連続10傑(7位)に入った[25]

2003年もアデランス5位、ファンケル9位タイなど9試合出場し賞金ランク12位とし[27]2004年はシニアツアー6試合に出場して日本シニアオープンで予選落ちしたものの安定した成績を残し賞金ランク30位[28]2005年はシニアツアー全8試合に出場してPPTリボーネストで予選落ちしたもののファンケルクラシックで4位タイに入るなどして賞金ランク28位であった[29]

2014年の関東プロゴールドシニアでは初日66ストロークとエージシュートを達成し、トータル6アンダーで優勝[14]2015年の同大会では首位スタートの矢部昭を追う展開となった最終日、1番ホールをバーディとし追いつくが、その後の3番をバーディとしトップに立つも、次の4番をボギーとし一進一退を繰り返した[30]。一方の矢部は、5番まで全てパーで凌いできたものの、6番、7番で連続ボギーを叩き、8番をバーディとしたものの1打差ビハインドで後半に入った[30]。後半、矢部は1バーディ1ボギーとしトータルイーブンパーフィニッシュ[30]。一方の長谷川は10番以降をパーで凌ぎながら、17番のバーディにより2打差とし優勝を決定づけ、長谷川は昨年の大会に続き連覇を果たした[30]

2018年の「ISPSハンダカップ・フィランスロピーシニア」スーパーシニアの部では、初日に5バーディー、2ボギーの3アンダー69をマークとエージシュートを達成して首位に立った[31]。それまでパッティング時に手が動かなくなるイップスにかかっていたが、大会前日に成田市内のゴルフショップで一目惚れした短尺パターを4000円で購入[31]。普段は長尺パターを使うが、この日は思い切ってUTを抜いて短尺と長尺パター2本をキャディーバッグに入れた[31]。3番(パー4)でピン奥1mのしびれるパットであったが、長谷川は「短いパットを外しても命までは取られない」と開き直った[31]。結果、難なく短尺パターでカップに沈め、5番30cm、7、16番とも1mも決めた[31]。結局、長尺を一度も使うことなく18ホールを回り切った[31]

主な優勝

脚注

外部リンク

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