栃木県出身。実家は大地主。1872年(明治5年)以降、同県下都賀郡卒島村副戸長、同郡豊田村長のほか、石崎政蔵らと設立した小山銀行頭取などを歴任した。
1895年(明治28年)栃木県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年11月8日から1897年(明治30年)9月28日まで在任した。
1898年、井上馨、江木千之の仲介で、北海道の豪商柳田藤吉と組んで、栃木県内の大地主5名とともに鰊粕を販売する「北海道肥料販売同盟」を設立したが、鰊の不漁により失敗し、大金を投じていた大塚は、1900年には「ほとんど破産の境遇」になったと新聞報道され、金銭トラプルを抱えた[3][4]。