大山敏子
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徳島県徳島市生まれ[3]。1935年3月に津田塾専門学校本科を卒業した後、1942年9月に東京文理科大学(英語英文学専攻)を卒業し、同年10月に同大学院文学研究科に入学、1944年9月に同大学院を退学した後、同年10月に同大学副手となり、戦後は1946年4月から翌年3月まで津田塾専門学校教授を務め、1947年4月に東京第一師範学校に就職、文部教官となり世田谷分校で勤務し、1949年4月に東京学芸大学助教授となり、1962年3月に退職[1]。この間、1950年10月に米国オハイオ州立大学大学院に入学して、翌年に卒業しマスター・オブ・アーツの学位を取得した[1]。また、1967年2月に東京教育大学から文学博士の学位を授与された[1][4]。 1962年4月から津田塾大学教授を務める一方、シェイクスピアについての著書、翻訳を刊行した。
夫はシェイクスピア学者の大山俊一[5]。かつて旺文社文庫のシェイクスピア作品は、大山夫妻の訳で占められていた。 これら大山訳作品は上演用ではなく、地口などを訳さず注をつける勉強用の翻訳であった。