大山智弥子
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1946年6月、大山倍達と結婚。旧名は「照子」、結婚後「置弥子(のちに智弥子)」と改名。倍達存命時は極真会館の事務長を務めた。
1994年、大山倍達の死後に極真は分裂。翌年2月に高木薫ら5人の支部長とともに大山智弥子未亡人を館長とし遺族派を結成する。
1995年4月、遺族派と支部長協議会派が合流し、大山派館長に就任。しかし1998年には大山派館長を辞任し、大山智弥子を含む旧遺族派は極真会館 宗家として、旧支部長協議会派は新極真会として再分裂した。
2002年には角川書店より『わが夫、大山倍達』を出版[1]。
2006年6月6日、胃癌にて死去。79歳没。葬儀では智弥子とその娘たちとも親しく[2]、大山倍達の高弟である山崎照朝をはじめ[2]、倍達の没後に袂を分かった門下生たちが一堂に会して偲んだ。