大崎二六郎
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大崎二六郎は、大崎彦助の長男として明治3年(1870年)2月6日、新潟県古志郡来伝村(現、新潟県長岡市来伝)で生まれる。父・彦助は、旧長岡藩家老・河井継之助の従者であり、長岡藩領来伝村の割元(大庄屋)であった。幼少の頃は、祖父・津右衛門邦常と起居を共にし、大いにその感化を受けた。
二六郎は、歌人(俳号は「梅渓」)として、また、尺八の名手としても活躍し、小学校のピアノ開きに六段や越後獅子の曲を琴と合わせて演奏した。妻のトウは、小向の川上淳一郎の妹で、工学博士・川上浩二郎の姉、また、泉の川上鏗太郎夫人・宮沢国万次郎夫人の妹でもある。一男一女の子がおり、長男の大崎勇は長岡銀行本店の貸付課長を永年勤めたが、勤続中に発病して退任し、49歳の若さで他界した[2]。
経歴
栃尾石油株式会社の設立
明治29年(1896年)、川上鏗太郎、川上淳一郎、二国万次郎、大崎二六郎らの東谷における富裕者と、富川岩太、那須山佐、那須勘左衛門、清水文次郎ら栃尾町の有力町人など15人が設立発起人となり、栃尾石油株式会社を設立した。資本金は90,060円と、当時としては巨額であった。これを一株20円とし、4,998株発行したが、設立発起人15人がその3分の1にあたる3,100株=62,000円を引き受けることにしていた。発起人の内訳から推定できるように、同社は「栃尾付近及東谷付近之石油鉱区」で石油掘削を行うことを目的にしており、「本社本店」は栃尾町209番戸に置かれたのである[3]。
新潟県古志郡立栃尾実業補習学校の設立
明治38年(1905年)、日露戦争が終結した頃より、古志郡に郡立の実業補習学校を創ろうという議論が起こり、郡議会の取り上げるところとなった。まず古志郡山本村を中心とした場所に設立したらどうかという意見などもあったが、結局は、栃尾郷に一つ、長岡市郊外に(現、長岡農業高校の前身)一つを建てることに決した。栃尾郷に一つ実現することになったのは、時の郡会長・大崎二六郎の尽力が大きかった。明治39年12月、実業補習学校として古志郡通常郡会において可決され、明治40年(1907年)9月、校舎新築のための工事に着工し、同41年4月、栃尾町染織講習所内の一部を仮校舎にあてて開校した[4]。

政治家として
- 明治26年~34年(1893~1901):入東谷村長
- 明治33年(1900)・36年:県会議員当選、県参事会員
- 明治38年(1905):入東谷村長
- 明治40年(1907):入東谷村長
- 明治41年(1908):栃尾町長
- 明治44年(1911):古志郡会議員当選、郡参事会員
- 大正4年(1915):郡会議員当選
- 大正6年(1917):県教育上の功績により知事表彰を受ける
- 大正7年(1918):消防勤功章授与
- 大正8年(1919):県会議員、古志郡会議員当選
- 大正10年(1921):県参事会員
- 大正12年(1923):郡政功労者として表彰を受ける
- 大正13年(1924):栃尾町長辞職
明治26年、21歳で入東谷村(現、新潟県長岡市)の村長となり、30歳で県会議員に当選。村長となること三期、県会議員当選4回、郡会議員当選3回した。郡議会参事会員として活躍し、教育、消防、郵政の功労者として表彰を受けている。
二六郎は、明治41年に栃尾町長に就任以来、大正13年1月まで約17年間その職にあった[5]。町長時代には、栃尾小学校移転、新築、栃尾実科高等女学校の創設、町役場庁舎新築、栃尾織物、産米等の寄与するところ大きく、また栃尾鉄道の建設、電話の架設等の各般にわたって業績をあげた。
栃尾町長を辞職する年の2月7日に開かれた栃尾町々会は、かねて病気を理由に提出されていた大崎二六郎町長の辞表を受理した[6]。
大正14年7月20日、56歳で死去。戒名は「種徳院純功智鑑居士」である。上来伝の鎮守天満宮者には、第25代・28代内閣総理大臣であった若槻礼次郎書「大崎二六郎頌徳碑」(昭和3年建立)として、彼の功績を称える石碑が建っている[7]。
脚注
- ↑ 『広報とちお [51, 6] No. 234』新潟県栃尾市長、1976年、7頁。
- ↑ 『広報とちお [51, 6] No. 234』新潟県栃尾市長、1976年、7頁。
- ↑ 『栃尾市史 中巻』栃尾市、1979年、487頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9538026/1/259?keyword=大崎二六郎。
- ↑ 『栃尾市史 中巻』栃尾市、1979年、371頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9538026/1/201?keyword=%E5%A4%A7%E5%B4%8E%E4%BA%8C%E5%85%AD%E9%83%8E。
- ↑ 『栃尾市史 中巻』栃尾氏、1979年、595頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9538026/1/313?keyword=%E5%A4%A7%E5%B4%8E%E4%BA%8C%E5%85%AD%E9%83%8E。
- ↑ 『栃尾市史 中巻』栃尾市、1979年、611頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9538026/1/321?keyword=%E5%A4%A7%E5%B4%8E%E4%BA%8C%E5%85%AD%E9%83%8E。
- ↑ 『栃尾郷誌』栃尾市教育委員会社会教育課、1971年、552-3頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9536106/1/294?keyword=大崎二六郎。