大崎満持 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代生誕 不詳死没 不祥戒名 続灯寺殿 凡例大崎 満持時代 室町時代生誕 不詳死没 不祥戒名 続灯寺殿官位 刑部大輔、左京大夫幕府 室町幕府 奥州探題氏族 大崎氏父母 父:大崎詮持、母:不詳子 大崎満詮テンプレートを表示 大崎 満持(おおさき みつもち)は、室町時代前期の武将。本姓は源氏で奥州管領大崎氏四代当主[注 1][1]。 奥州管領(奥州探題)大崎詮持の三男として誕生する。 応永元年(1394年)頃から父詮持の名代として活動を始め、田村庄司の乱では将として出陣し、石川郡の蒲田民部少輔や岩城郡の伊賀式部太夫らに所領安堵を発給している。 応永6年(1399年)7月、稲村公方、笹川公方が下向し、大崎氏は両公方ら鎌倉府と対立(伊達政宗の乱)。父詮持が亡くなるなど緊迫した事態の中、国元の小野に留守居していたために難を逃れた[注 2][2]。 応永7年(1400年)2月、鎌倉府への備えとして懸田氏の城である老田城に嫡子大崎定詮を派遣。同年10月懸田宗顕が藤井貞政と一揆契約を結ぶ。応永8年9月(1401年)菊田庄の藤井貞政に足利義満の御教書に従い本領安堵[3]。 応永9年(1402年)鎌倉府の軍勢が伊達氏の西根・長倉・赤館に攻撃するも失敗。この時、大崎重臣笠原為時が従軍し、功を建てたという[4]。 注釈 [脚注の使い方] 注釈 ↑ 「伊達族譜」、「鹿島神社神主覚書」、「大崎家譜」、「伊達正統次考」など多くの系図で世代を誤って記されている。 ↑ 「伊達家譜」では田村大越戦死と著されているが誤りと指摘されている。 出典 ↑ 『中世武士選書53 奥州管領斯波大崎氏』戎光祥、2025年2月、84頁。 ↑ 『中世武士選書53 奥州管領斯波大崎氏』戎光祥、2025年2月、84頁。 ↑ 『中世武士選書53奥州管領斯波大崎氏』戎光祥、2025年2月、87-88頁。 ↑ 『中世武士選書53奥州管領斯波大崎氏』戎光祥、2025年2月、91頁。 Related Articles