大川恵子
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1955年に名鉄デパートに入社するが、月刊誌『平凡』主催「ミス平凡」に選ばれ、1956年に東映ニューフェイスの第3期生となる[1]。同期には里見浩太朗・桜町弘子・大村文武らがいた。芸名は当時の東映社長の大川博が命名したものである[1]。黄金期の東映時代劇でお姫様女優として活躍。『姫君一刀流』は唯一の主演作である。1962年、時代劇ブームの去る前にサラリーマンと結婚、引退し映画界を去る。以降、マスコミに出ることはない。
1959年(昭和34年)3月2日から6日まで開催された「ベルリン日本映画芸術の日」と3月6日から11日まで開催された「ミュンヘン日本映画見本市」に出席のため同3月1日、芦川いづみ(日活)、大空眞弓(新東宝)、小山明子(松竹)、司葉子(東宝)、若尾文子(大映)ら他の映画会社代表女優たちと共に東映代表女優としてドイツへ出発。
- 同3月1日、ベルリン着。ベルリンでの宿泊先はヒルトン・ベルリン。3月3日、記者会見。3月4日、CCCスタジオ(CCC studio)訪問。
- 3月5日、ベルリンを出発しミュンヘンに到着。ミュンヘンでの宿泊先はケンピンスキー・ホテル・フィア・ヤーレスツァイテン(Hotel Vier Jahreszeiten)。3月7日、記者会見。3月9日、女優たちのサイン会が開かれた。3月10日、バヴァリア・スタジオ(Bavaria Film)見学。
- 同3月25日、日本に帰国した。
- 現地で上映された日本映画は『無法松の一生』(第19回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞受賞作品)、『楢山節考』(木下惠介監督版)、『白蛇伝』(アニメーション映画)など。