マガジンハウス
日本の東京都中央区にある出版社
From Wikipedia, the free encyclopedia
株式会社マガジンハウス(英: MAGAZINE HOUSE, Ltd.)は、日本の出版社。旧社名は「平凡出版株式会社」(へいぼんしゅっぱん)。本社は東京都中央区銀座。
1945年(昭和20年)に合資会社凡人社として創業。若者向け情報誌『平凡パンチ』や、グラビアを多用した女性誌の草分けとなった『an・an』をはじめ、『POPEYE』『BRUTUS』『クロワッサン』など、創業以来30誌以上の雑誌を創刊してきた[1]。2020年代以降はウェブメディアや漫画事業、企業向けクリエイティブ事業など事業の多角化を進めており、2025年の創立80周年を機に「銀座から世界へ」をビジョンに掲げ、英語版雑誌の刊行など海外展開にも着手している[2]。
社是は「人間を大切に」「創造を大切に」「読者を大切に」。
概要
1945年10月に創業。同年11月に創刊された雑誌『平凡』は芸能娯楽誌として成長し、1955年には発行部数140万部を突破した。なお、誌名の由来となった平凡社との資本関係はない。
1960年代以降、時代の変化に応じて新しいスタイルの雑誌を次々と創刊してきたことが同社の特徴である。1964年には若者向け情報誌『平凡パンチ』で100万部を達成。1970年にはフランスの『ELLE』誌と提携した大型ビジュアル女性誌『an・an』を、1976年には「Magazine for City Boys」を掲げた男性カルチャー誌『POPEYE』を創刊し、いずれも日本の雑誌ジャーナリズムに新たな潮流をもたらした。その後も『クロワッサン』(1977年)、『BRUTUS』(1980年)、『Tarzan』(1986年)、『Hanako』(1988年)など、ライフスタイルの各領域で独自のポジションを持つ雑誌を生み出し、創業以来30誌以上を世に送り出している[1]。
2010年代後半からは各雑誌のウェブメディア展開を進めた。2020年にはカスタムプロデュース事業部を改称し「マガジンハウスクリエイティブスタジオ」(MCS)を設立[3]。2023年にはウェブ漫画サイト「SHURO」を開設して漫画事業に新規参入した[4]。2025年の創立80周年では「銀座から世界へ」をビジョンに掲げ、『POPEYE』『BRUTUS』英語版の刊行など、海外展開を本格化させている[1]。
2026年3月現在、10の定期刊行雑誌と、2つのデジタル専業メディア(colocal、こここ)を運営するほか、書籍・漫画の編集発行をコアビジネスとしている。
歴史
創業
1928年、平凡社より『平凡』という雑誌が創刊された。講談社の『キング』に対抗して出版された。創刊号は売れ行きが良かったが、2号からは全く売れず、5号で休刊した。
1934年、平凡社より『陸軍』という雑誌が創刊された。その後、『陸軍画報』と改称。陸軍省の後援が付いたプロパガンダ雑誌であった。その後、平凡社より分離し、平凡社社長の下中弥三郎が別に経営した維新社より発行されるようになった。その後、元・維新社の営業であった中山正男の経営する陸軍画報社の発行となり、終戦まで続いた。
1945年、『陸軍画報』は終戦により1945年8月号で廃刊となった。この時期、終戦により戦時色の強い雑誌が相当数廃刊を余儀なくされたが、当時は雑誌の用紙は統制下にあり、いちど廃刊してしまうと用紙の確保が難しくなるので、戦後の新雑誌の創刊に当たってはいちおう「改題」という形式がとられた。
戦時中に北支宣撫班や大政翼賛会宣伝部などで活動した岩堀喜之助は、復員後、戦時農業団を参考に集団農場を作ろうとしたが、翌月に思い直して雑誌を作ることにして、戦時中からの友人であった旧・陸軍画報社の中山元社長より、旧・陸軍画報社の用紙割当権を譲り受けた。岩堀は、『陸軍画報』を改題するにあたって平凡社の下中弥三郎社長に面会し、平凡社がかつて刊行していた「啓明」と「平凡」の2つの誌名候補を提示された際、「これからは平凡で幸せな大衆の時代がやってくる」として「平凡」を選んだ[5]。
岩堀は戦時中の同僚に声をかけ、こうして1945年10月、終戦からわずか2か月後に「合資会社凡人社」として5人で銀座・湯浅電池館4階の旧・陸軍画報社の編集室において創業した。「凡人社」の名前は、戦後に旧・陸軍画報社編集室を譲り受けた電気器具商の提案による。この電気器具商の好意で、銀座の旧・陸軍画報社編集室をしばらく『平凡』の編集室として使わせてもらっていた。
『平凡』創刊
1945年11月、月刊『平凡』を創刊。
用紙の割り当てと、「平凡」という名前だけ決まっていて、雑誌の内容は決まっていなかったので、創業メンバーの中で編集のプロであった清水達夫に一任され、小説誌ということになった。『平凡』の清水編集長は、かつて日本電報通信社(電通)で『宣伝』の編集に携わっており、後に大政翼賛会宣伝部に移ったが、「赤紙が来ない」と岩堀に言われて『陸軍画報』を手伝っていた時期があった(結局徴兵された)。
終戦直後のカストリ雑誌の全盛期は3万部を超える好調な売れ行きを示した『平凡』も、大出版社の雑誌が社員の復員によって勢いを取り戻す頃になると売れ行きが下降してくる。そのため、1948年2月より雑誌を大判化。また、清水編集長の中学時代の友人であったコロムビア・レコード宣伝部の宮内鉦一の協力により、グラビアに重点を置いたレイアウトを採用したところ、反響が大きく4万部刷った。当時は歌謡曲の歌詞や歌手の写真を載せた雑誌はなかった。
『平凡』1948年5月号より「歌と映画の娯楽雑誌」のサブタイトルが付き、歌謡曲が雑誌の柱となった。1948年12月号より連載が開始された岡晴夫の半生記、1949年3月号より連載された小説『乙女の性典』(小糸のぶ)、も人気となった。1950年2月号で30万部を突破、同年8月号で40万部を突破、12月号は53万部と、非常な人気雑誌となった。
『平凡』1951年8月号より「ミス平凡」「ミスター平凡」の大募集を開始し、ニューフェースを映画界に送り出した。
『平凡』1953年新年号でついに部数が100万部を突破。
1954年6月、社屋を中央区の「綿スフ会館」へと移転。これを機に「合資会社凡人社」から「平凡出版株式会社」へと社名を変更する。
1954年9月、106日間にわたる近江絹糸争議を戦い抜いた近江絹糸彦根工場に『平凡』から女優の南田洋子を派遣。工員は全員『平凡』の愛読者であり、圧倒的な歓迎を受けた。
1955年、『平凡』に『ジャンケン娘』(中野実)を連載し、これを映画化することで、当時絶大な人気がありながら共演は至難と思われていた美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの「三人娘」の競演を、レコード会社の壁を越えて実現させた。
月刊誌『平凡』は、1955年8月号で141万部のピークに到達し、そこから部数は下降していく。時代は月刊紙から週刊誌へと移り変わりつつあった。
(なお、本稿は平凡社の社史『読者とともに20年 平凡出版株式会社小史』(平凡出版、1965年)を参考)
週刊誌時代へ
1956年1月、社内の機構改革を行い、「部」や「課」などを創設するなど、近代的な会社組織を確立する。それまで「社長」と呼ばれることを嫌って「岩さん」と呼ばれていた岩堀も、正式な「代表取締役社長」となる。これまで『平凡』の編集費はどんぶり勘定で使い放題だったが、部数が減に転じるとこれも問題になり、経理の明朗化も行われた。
1959年5月、週刊誌時代に対応して『週刊平凡』を創刊。歌と映画を2本柱にした月刊『平凡』に対し、『週刊平凡』ではテレビを柱とすることにした。なお1959年5月期で、月刊『平凡』が初めて赤字となったので、「利益計画」が立てられ、初めて編集費の予算が決められた。翌年は黒字化した。『週刊平凡』は成功し、1960年12月に100万部を突破。
1964年4月、若い男性向け週刊誌の『平凡パンチ』創刊。当初は『エスクァイア』や『プレイボーイ』にならい、セクシーな女性を表紙にするつもりだったが、『平凡パンチ』が読者と想定している当時の日本の若い男性は「みんなシャイ」[6]という岡田真澄のアドバイスを受けて変更。『メンズクラブ』のイラストでたまたま載っていた大橋歩を採用する。大橋は当時まだ多摩美術大学の学生であった。『平凡パンチ』は1966年に100万部を突破。
an・an創刊
沿革
創業から平凡出版時代
an・an創刊からマガジンハウスへの社名変更
バブル期から2000年代
2010年代:デジタル展開と事業多角化
2020年代:漫画参入・グローバル展開
歴代社長
| 代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 初代 | 岩堀喜之助 | 1945年〜1982年 | 合資会社凡人社創業者 |
| 2代 | 清水達夫 | 1982年〜1988年12月 | 創業メンバー。「雑誌の神様」と称される |
| 3代 | 木滑良久 | 1988年12月〜1996年12月 | POPEYE・BRUTUS創刊編集長 |
| 4代 | 吉森規子 | 1996年12月〜1998年12月 | クロワッサン編集長 |
| 5代 | 赤木洋一 | 1998年12月〜2002年12月 | アンアン編集長 |
| 6代 | 石﨑孟 | 2002年12月〜2018年12月 | 在任約16年 |
| 7代 | 片桐隆雄 | 2018年12月〜2023年12月 | 2023年より相談役 |
| 8代 | 鉄尾周一 | 2023年12月〜現任 | anan編集長、書籍編集部編集長を歴任[10] |
刊行物
現行の定期刊行誌(2025年現在)
| 誌名 | 創刊年 | 刊行頻度 | コアバリュー |
|---|---|---|---|
| an・an(アンアン) | 1970年 | 週刊 | すべての"わたし"の、今好きなこと。 |
| POPEYE(ポパイ) | 1976年 | 月刊 | Magazine for cityboys |
| クロワッサン | 1977年 | 月2回刊 | 暮らしに役立つ、知恵がある。 |
| BRUTUS(ブルータス) | 1980年 | 月2回刊 | New perspective for all |
| Tarzan(ターザン) | 1986年 | 月2回刊 | The best answer for well-being |
| Hanako(ハナコ) | 1988年 | 月刊 | Your GO-TO guide |
| GINZA(ギンザ) | 1997年 | 月刊 | Fashion inspirations for originals |
| Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) | 2000年 | 月刊 | Life design magazine |
| ku:nel(クウネル) | 2003年 | 隔月刊 | マチュアのときめき、ぜんぶ。 |
| &Premium(アンド プレミアム) | 2013年 | 月刊 | The Guide to a Better Life |
主な休刊誌
主な書籍
- 『世界がもし100人の村だったら』(池田香代子)
- 『漫画 君たちはどう生きるか』(吉野源三郎原作、羽賀翔一漫画)- 累計約265万部突破[10]
- 『つかめ!理科ダマン』シリーズ(シン・テフン原作、ナ・スンフン漫画)- 韓国発の学習漫画。日本では2021年に第1巻を刊行し、シリーズ累計180万部を超えるヒットとなった。2024年の年間ベストセラー児童書部門(トーハン調べ)で5位を記録[12]
- 『図書館の神様』(瀬尾まいこ)
デジタル・新規事業
各雑誌ブランドのウェブメディアを順次展開しており、雑誌本誌のコンテンツ転載に加え、ウェブオリジナル記事やSNS連動企画を配信している。以下は現行の定期刊行誌およびウェブメディアの一覧(創刊年順)。
| 誌名 | 創刊年 | Webサイト |
|---|---|---|
| an・an(アンアン) | 1970年 | https://ananweb.jp/ |
| POPEYE(ポパイ) | 1976年 | https://popeyemagazine.jp/ |
| クロワッサン | 1977年 | https://croissant-online.jp/ |
| BRUTUS(ブルータス) | 1980年 | https://brutus.jp/ |
| Tarzan(ターザン) | 1986年 | https://tarzanweb.jp/ |
| Hanako(ハナコ) | 1988年 | https://hanako.tokyo/ |
| GINZA(ギンザ) | 1997年 | https://ginzamag.com/ |
| Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) | 2000年 | https://casabrutus.com/ |
| ku:nel(クウネル) | 2003年 | https://kunel.jp/ |
| colocal(コロカル)※Web専業 | 2012年 | https://colocal.jp/ |
| &Premium(アンド プレミアム) | 2013年 | https://andpremium.jp/ |
| こここ ※Web専業 | 2021年 | https://co-coco.jp/ |
| SHURO(シュロ)※漫画 | 2023年 | https://shuro.world/ |
漫画事業(SHURO)
2023年6月30日、ウェブ漫画サイト「SHURO」(シュロ)を開設し、漫画領域に新規参入した[4]。マガジンハウスは1990年代まで漫画雑誌を刊行していた時期があったが、長年にわたり漫画専門媒体は持っていなかった。SHUROでは「楽しくて、刺激的で、役に立つ」をコンセプトに、恋愛・ファンタジー系からオルタナティブ系、エッセイ・実用書系まで幅広いジャンルの漫画作品を掲載している[13]。編集長はリイド社のウェブ漫画メディア「トーチWeb」を立ち上げた関谷武裕が務める。
2025年9月には電子コミックの月間売上が1億円を超え、事業としての成長が報じられている[2]。
企業向けクリエイティブ事業(MCS)
2020年に「マガジンハウスクリエイティブスタジオ」(MCS)を事業部として発足[3]。雑誌編集で培ったブランド力・編集力を活用し、企業や官公庁のブランドブック制作、ウェブサイト・動画・SNS制作、コンサルティングなどのクリエイティブ事業を行っている。
ライセンスビジネス
各雑誌ブランドを活用したライセンス事業も展開。「ハナコスムージー」は累計800万本を販売した実績がある[3]。その他、LINEスタンプやアプリの展開も行っている。
アーカイブ事業
創業以来の約80年間に蓄積された写真(100万枚以上)や誌面を「マガジンハウス・アーカイブス」として管理し、主にマスコミ関係者向けに貸し出しを行っている[3]。
海外展開
2025年の創立80周年を機に「銀座から世界へ」を新たなビジョンとして掲げ、グローバル展開を本格化させている[1]。
同年9月に『POPEYE』と『BRUTUS』の東京特集英語版を刊行したところ、発売から2週間で重版が決定[9]。2026年は『POPEYE』『BRUTUS』『Casa BRUTUS』を中心に年間各2冊程度の英語版刊行を計画している[2]。
『POPEYE』公式Instagramアカウントのフォロワー(約85万人、2025年10月時点)のうち半数以上が海外アカウントとされるなど、アジア・欧米圏でのブランド認知が広がりつつある[2]。また、韓国のバーチャルアイドルグループ「PLAVE」を特集した『anan』号では同誌初の海外重版がなされた[1]。
創立80周年記念事業
2025年10月10日から25日まで、Ginza Sony Parkで創立80周年記念イベント「マガジンハウス博 "銀座から世界へ"」を開催した[1][14]。同イベントには約20万人が来場したとされる[2]。
鉄尾社長はイベントにおいて、「グローバル展開」と「IP(知的財産)を活用した新しいビジネスの創出」の2点を今後の挑戦として掲げた[1]。
会社情報
- 種類 株式会社
- 〒104-8003
- 東京都中央区銀座3丁目13番10号
- 設立 1945年10月10日(合資会社凡人社)
- 業種 情報・通信業
- 法人番号 6010001057652
- 事業内容 雑誌および書籍の出版
- 代表者 代表取締役社長 鉄尾周一
- 資本金 9,000万円
- 従業員数 196名(2025年9月1日現在)
- 主要子会社
- 音響ハウス
- 平凡商事
- 外部リンク magazineworld.jp