大平尾城
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興福寺大乗院方衆徒の古市公胤によって、標高379メートル、比高68メートルの山に築城された[1]。 大平尾城は奈良市東山中、大平尾と大柳生の中間に位置し、白砂川沿いに突き出した尾根の先端に立地する。城の眼下には誓多林道が通り、南都から柳生・笠置方面に通じる街道を監視できる要衝である。
戦国時代には古市氏の後方拠点として利用され、『続南行雑録』によれば、1520年(永正17年)、公胤が筒井順興と南都支配をめぐって交戦した際、公胤は鉢伏城を前線としつつ本陣を大平尾に置き、戦況に応じて両城を往復したとされる[2][3]。
大平尾城は鉢伏城を支える後方陣地として機能し、必要に応じてさらに背後の邑地方面に退く戦略的な位置にあった。また、奈良から滝坂道を経て大柳生高原へ至る街道の分岐点に位置することから、見張りおよび伝令の中継的役割を果たしたと考えられる。
近世の「古市新城ノ図」にも「大平尾の番所」として記録があり、在地の七人衆が昼夜交代で警備にあたったと伝えられている[4]。
