大沼康
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宮城県築館町(現:栗原市)出身。1934年、京都帝国大学農学部農林経済学科を卒業後[1]、全国米穀販売購買組合連合会に入る。宮城県経済農業協同組合連合会会長などを務めた後、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙では宮城1区から無所属で立候補したが落選した[2]。1956年(昭和30年)の宮城県知事選挙に当選し、同県初の社会党知事となった。
知事在任中には、元岩手県出納長であり、後に社会党衆議院議員となる西宮弘を招聘、宮城県副知事を務めさせた。大沼は知事任期中の1959年(昭和34年)1月12日、腎臓病のために急逝した。
大沼の死後、後継知事選には西宮が立候補したが、自由民主党の候補・三浦義男に敗れて落選した。西宮は1963年(昭和38年)にも宮城県知事選挙に立候補し、再度落選している。