本間俊太郎
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政治経歴
1974年(昭和49年)10月、中新田町長選挙に立候補して当選、以降4期に渡って同町長を務めた。中新田町長時代の代表的な業績としては、1981年(昭和56年)の中新田バッハホール(条例上の名称は中新田町文化会館、現在は加美町中新田文化会館)建設があげられる。「音響効果日本一」のバッハホールを建設したこの事業は、町おこしの成功例として高く評価され[1]、アイディア町長として知られるようになった。
1988年(昭和63年)12月に中新田町長を辞職、当時の宮城県知事・山本壮一郎の引退に伴う同県知事選挙に日本社会党などの推薦で立候補し、1989年(平成元年)3月に当選した。立候補に際しては、元社会党衆議院議員・西宮弘のもとを訪れ、教会での極秘会談を持った。当選後は、一転して社会党と距離を置き、自民党会派と急接近した。二期目の選挙では自民党にのみ支持を要請したが、社会党も一方的に支持を表明、本間陣営もそれを容認した。
知事就任中の実績には、慶長遣欧使節の帆船・サン・ファン・バウティスタ号の復元(石巻市)、仙台空港と仙台港の国際化の推進、県立大学(宮城大学)と宮城県立がんセンターの設立、宮城県立図書館、東北歴史博物館の建設、松島湾の浄化や貞山運河の復活、七ツ森の自然公園化、宮城県古川農業試験場の移転整備、古川市立病院(現大崎市民病院)への救命救急センターの設置などがある。
一方、大規模公共工事を行う「箱物行政」の推進に伴って建設業者との癒着がおこり、自身の決定を「天の声」として、談合に深く係わるようになっていたことが発覚した。これは、1993年(平成5年)6月29日の仙台市長(当時)・石井亨の逮捕に始まるゼネコン汚職事件に発展、同年10月4日、本間も清水建設幹部とともに贈収賄の容疑で東京地検特捜部に逮捕され、同年3月に再選されていた知事職を2期目の途中で辞任した。
1997年(平成9年)3月21日、東京地方裁判所で懲役2年6か月・追徴金1億2千万円の実刑判決を受け、静岡刑務所に収監された。