大浦政信 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 明応6年(1497年)死没 天文10年6月9日(1541年7月2日)氏族 大浦氏 凡例大浦 政信 大浦政信像時代 戦国時代生誕 明応6年(1497年)死没 天文10年6月9日(1541年7月2日)氏族 大浦氏父母 父:大浦光信(祖父とも)子 為則、守信テンプレートを表示 大浦 政信(おおうら まさのぶ)は、戦国時代の武将。大浦光信の子または孫[1]。 天文10年(1541年)、三味線河原の戦いで和徳城を攻め城主・小山内満春を討ち取るも、満春の子・永春が加勢し盛り返されて、大浦方は敗れて政信は家臣・森岡為治と共に討ち取られた。 なお津軽家の公称系図では、政信が摂関家近衛尚通と大浦光信の長女・阿久の間にできた子とし、以来本姓が源氏(清和源氏)から藤原氏に変わったとされる。 脚注 ↑ 弘前市史において大浦盛信の娘婿と記載。 参考文献 『弘前市史・通史編2』弘前市、2002年6月28日。 Related Articles