大浦光信 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 寛正元年(1460年)死没 大永6年10月8日(1526年11月12日[1])墓所 青森県弘前市の長勝寺 凡例大浦光信 大浦光信像時代 戦国時代生誕 寛正元年(1460年)死没 大永6年10月8日(1526年11月12日[1])墓所 青森県弘前市の長勝寺主君 南部信時氏族 大浦氏父母 父:金沢家信または久慈元信[2]兄弟 光信、西館信建子 政信[3]、兼平盛純[4]、阿久?養子:盛信[5]テンプレートを表示 大浦 光信(おおうら みつのぶ)は、戦国時代の武将。陸奥国種里城主。南部守行の曾孫。 延徳3年(1491年)、南部信時は南部久慈氏の一族・南部光信を津軽西浜の種里城(西津軽郡鰺ヶ沢町)に配置し安東氏への押さえとした[6]。文亀2年(1502年)、光信は大浦城を築き養子・大浦盛信に守らせた。 大永6年(1526年)、種里城[6]で死去。享年67(51とも[1])。 死後、盛信によって長勝寺に祭られた。なお、遺言として「死後も西の備えたらん」と述べたため、盛信によって甲冑姿のままで埋葬されたと伝えられている。 実子との説もある大浦政信は、津軽家の公称系図では孫(光信の長女・阿久と津軽に来た近衛尚通の間に生まれた)にあたる。 光信の銅像 (種里城跡、1990年建立) 脚注 1 2 『青森県史』 ↑ 南部守行の子である久慈威信(大浦則信)の子 ↑ 孫とも ↑ 盛顕 ↑ 新庄信春次男? 1 2 『弘前市史』 参考文献 『弘前市史・通史編2』弘前市、2002年6月28日。 Related Articles