大渡忠太郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

大渡 忠太郎(おおわたり ちゅうたろう、1870年11月1日明治3年10月8日[1]〉- 1953年昭和28年〉[2])は、日本の植物学者

肥前国佐賀郡、のちの佐賀県佐賀郡与賀町(現佐賀市与賀町)で生まれた[1]

東京帝国大学植物学科を卒業し[3]、同学で助手を務めるが、1899年一年志願兵として入隊したため退官した[1][4]学位理学士[5]。その後、1901年岡山県岡山市第六高等学校(現・岡山大学[6]教授に着任し[7]中世以来途絶えたとされていたキクザクラを発見[8]、校庭に植えた[7]松本高等学校(現・信州大学)では第2代校長(在任:1921年10月 - 1927年8月)を務め、同校跡のあがたの森公園には、在任中に購入・植栽したヒマラヤスギの大木が残っている[9]。その後、日本博物館協会常務理事を務めた[10]

旧制第一高等学校時代は音楽部に所属し、ピアノオルガンなどを弾いていた[2]。東京帝大助手時代の1896年10月に、牧野富太郎らとともに神戸から小倉丸に乗船して台湾基隆へ渡り、植物採集旅行を行い、12月5日東京に戻った[11]。翌1897年12月7日に再び台湾へ渡り、単独で植物採集を行い、1898年4月中旬に日本へ帰った[11]。この単独台湾調査は、台湾総督府衛生課から「森林植物標品採集及薬用植物調査事務」嘱託として招請されたものである[12]。2度の台湾での調査成果は「臺灣植物探檢紀行」(台湾植物探検紀行)の題で『植物学雑誌』に発表された[11]。この時に発見したトウサワトラノオは1898年以降、台湾では見つからず、絶滅したと考えられていたが、2020年3月26日に基隆市暖暖区で植物愛好家によって122年ぶりに発見された[13]

医事評論家の大渡順二は息子である[7]

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI