大石千引

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大石 千引(おおいし ちびき、1770年4月7日明和7年3月12日)- 1834年10月15日天保5年9月13日))は、江戸時代後期の国学者歌人である。幼名は貞見、字は道和。通称は伝兵衛等。号は星廬等がある。

下野鳥山藩士であった大石田隣の子として、江戸に生まれる。初めは家業として、銭湯を営んだ。後に父の後継として同藩士となるが、江戸幕府幕臣の歌人であった横瀬貞臣の門人となり、冷泉家和歌を学んだ。その後は加藤千蔭の門人となり、国学も学ぶ[1][2]

この業績を活かし、多くの国学者の学説を批判したり、『今鏡』や『大鏡』や、『増鏡』、『栄花物語』といった古学の探究に専念し、また『万葉集』といった古典派歌学や文法の探究にも携わった。主な門人に天野政徳がいる。古医書の保存に尽力した奈須恒徳が『本朝医談』を執筆した時は、序を書いている[3][4]

主な著作物

出典

外部リンク

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