石清水八幡宮の童子であったが、大神惟季に才能を見出されて彼の養子となり、「皇帝破陣楽」などの秘曲を伝授される。なかんずく横笛に長じ、惟季はその著書『懐竹抄』の中で、管弦の心得を知悉しており、卓越した演奏をする人物として基政を絶賛している。
大内楽所に任ぜられ宮中雅楽で活躍し、堀河・鳥羽両天皇の笛の師範を務めた。堀河天皇の勅定により、「壱団矯」を琵琶譜から笛の譜に移行させて「基政の笛譜」と呼ばれる横笛の楽譜を編纂したほか、長承2年(1133年)には口伝・岳父・故事などを集積した楽書『龍鳴抄』を著すなど、雅楽の隆盛に大きく貢献。長承元年(1132年)楽人として初めて従五位下に叙されている。
『古今著聞集』に多くの逸話が収録されており、太鼓の演奏を巡る藤原博定との話は有名である。