大菅南坡
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宝暦4年(1754年)生まれた。生家は石谷家とも岩泉家ともいう[1]。彦根藩の儒者野村東皐に儒学を学んだ[1]。大菅中養父の婿養子となり[1]、藩士印具氏に仕えたが、陪臣に甘んずることを嫌って致仕し、京都に上った[2]。京都では講談で評判を取った[2]。
天明6年(1786年)2月20日、彦根藩主井伊直幸に呼び戻され、直接儒員に取り立てられた[2]。次代藩主井伊直中には度々相談を受け、寛政3年(1791年)9月13日月見の宴を病欠した際には、「さ丹頬ふ君が辺りと別きて尚ほ今宵の月の清く照るらん」「隈もなく今宵の月と照りたれど君をし見ねば楽しくもなし」の2首を賜った[2]。
寛政11年(1799年)直中の稽古館を設立に関わり、設立後その学問方に就任した[2]。文化11年(1814年)11月15日病没[2]。
経歴
著作
- 『彦根史外伝』
- 『南坡疏抄』