大蔵頼季 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 鎌倉時代中期生誕 不詳死没 文永9年9月2日(1272年10月2日)[1]別名 次郎左衛門尉 凡例大蔵 頼季時代 鎌倉時代中期生誕 不詳死没 文永9年9月2日(1272年10月2日)[1]別名 次郎左衛門尉主君 北条時宗氏族 野与党大蔵氏[2]父母 大蔵時季[1]子 西脇季忠、光頼[1]テンプレートを表示 大蔵 頼季(おおくら よりすえ)は、鎌倉時代中期の武士。御内人。 大蔵氏は武蔵七党の野与党の一族で、武蔵国埼玉郡大蔵(現・埼玉県久喜市菖蒲町三箇)の武士。頼季のころには得宗被官となっていた[2][3]。文永9年(1272年)2月11日、渋谷朝重・四方田時綱・石河神次左衛門尉・薩摩左衛門三郎とともに、謀反を疑われた北条時章を誅殺した(二月騒動)。しかし後に時章は無実だったことが判明したため、頼季ら討手5人はその責任を追及されて斬首刑となった[4]。 脚注 [脚注の使い方] 出典 1 2 3 太田 1963, § 西脇. 1 2 福田 1989. ↑ 小野 1993, § 三箇村. ↑ 『群書類従』 2008, § 保暦間記 第四. 参考文献 福田豊彦 著「野与党」、国史大辞典編集委員会 編『国史大辞典』 10巻、吉川弘文館、1989年。ISBN 9784642005104。 小野文雄 編『埼玉県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1993年。ISBN 9784582490114。 太田亮『姓氏家系大辞典』 1巻、角川書店、1963年。ISBN 9784040302102。 『群書類従』 26巻、八木書店、2013年。ISBN 9784840631372。 Related Articles