太田亮
From Wikipedia, the free encyclopedia
大阪府吉野郡下市村(現・奈良県吉野郡下市町)に生まれる[1]。京都法政大学予科(現・立命館大学)を経て[1]、1910年に神宮皇學館(現・皇學館大学)を卒業[3]。山梨県立高等女学校教諭、内務省考証官補、同嘱託などを経て、1934年から西園寺家の「管見記」の編纂にたずさわる[4]。同年、立命館大学法経学部講師[1]。1937年に同専門部文学科教授。1941年に同法文学部教授となる。1943年同文学部長を兼ねた[5]。1945年11月7日、「日本上代ニ於ケル社会組織ノ研究」で法学博士号取得。1949年、近畿大学商経学部教授[5]。1955年、専修大学大学院法学研究科教授[5]。講義の帰途に突然路傍で倒れ[6]、午前4時30分、心臓動脈硬化症のため死去[5][7]。
主著に『姓氏家系大辞典』。また『摂津』、『家系系図の合理的研究法』など多数の著書がある。