大藤秀信
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父の信基の死去後の天文21年(1552年)に末子であったが、大藤氏の家督を継いだ[1]。恐らく嫡子がいなかったためだと思われる。
足軽衆を率いて各地を転戦し、特に永禄4年(1561年)に越後国の上杉謙信を撃退するのに大功を挙げた(大藤文書・北条氏政感状)[1]。
永禄11年(1567年)、武田信玄が駿河侵攻を行うと、今川援兵として武田軍と対峙し、掛川城、のちに韮山城に篭って抗戦した[1]。
元亀2年(1571年)に甲相同盟が成立すると、一転して武田信玄の遠江侵攻に協力し、二俣城攻めに加わるが、元亀3年(1572年)11月の落城直前に銃弾に当たって戦死した。家督は嫡男の2代目政信が相続した[1]。