大西圭斎
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大西家は代々豊前中津藩の家臣であり、圭斎も江戸詰家臣として江戸藩邸に住み、藩主奥平昌高に仕えた。
画ははじめ沈南蘋の風を好んで宋紫石・宋紫山親子に師事し、その孫の宋紫岡にも学んだという。その後、谷文晁の写山楼に入門。明代の画家・林良[2]や、清の蒋廷錫にも学んだという[3]。しばしば南蘋派の絵師に分類されるが、実際の作品を見ると淡彩の花鳥画を得意としていた。圭斎が中津藩の御用絵師で会ったかは定かではないが、藩命で度々中津にも赴き、その地に多くの作品を遺している。
晩年になって江戸木挽町に住む。豪放磊落で酒を好んだと交流の会った儒者松崎慊堂が伝えている[2]。詩文も巧みで雲室上人の小不朽吟社に参加している[4]。画人の荒木寛快とも交友が知られる。
子の大西仙洲も画をよくし、初め江戸詰めだったが、維新後は中津市で暮らした。