大谷尊由

日本の政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia

大谷 尊由(おおたに そんゆ、1886年明治19年〉8月19日 - 1939年昭和14年〉8月1日[1])は、浄土真宗本願寺派僧侶政治家

生年月日 1886年8月19日
出生地 日本における郵船商船規則の旗 日本京都府下京区堀川通(現:京都市
没年月日 (1939-08-01) 1939年8月1日(52歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
大谷 尊由
おおたに そんゆ
生年月日 1886年8月19日
出生地 日本における郵船商船規則の旗 日本京都府下京区堀川通(現:京都市
没年月日 (1939-08-01) 1939年8月1日(52歳没)
死没地 察南張家口(現:中華人民共和国の旗 中華人民共和国河北省
前職 僧侶
所属政党 研究会
称号 正三位
勲二等瑞宝章
配偶者 大谷泰子
親族 父・大谷光尊
兄・大谷光瑞
兄・木辺孝慈
娘壻・岡崎真一
娘壻・音羽正彦
娘壻・小坂善太郎
大日本帝国の旗 第11代 拓務大臣
内閣 第1次近衛内閣
在任期間 1937年6月4日 - 1938年5月26日
在任期間 1928年4月4日 - 1939年8月1日
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来歴

浄土真宗本願寺派第21世法主大谷光尊(明如)と側室・松原藤子の5男として京都市に生まれる。兄は第22世法主光瑞(鏡如)、木辺孝慈、妹は歌人の九条武子。光瑞と共に博識で知られ、後藤新平などが早くからその人物を評価していた。

成人してからは御連枝として兄の宗政を助け、本願寺執行長、本願寺派護持会財団理事長、管長事務取扱(管長代理)などを歴任。この間、日露戦争に際し従軍布教の陣頭指揮にあたり、自身も中国各地を度々慰問している。数々の教団改革をすすめ、大谷探検隊を財政面から助けたが、後に多額の負債を教団に残すこととなった。

1914年大正3年)、疑獄事件により法主の座を退いた兄に代わって次期法主が期待されたが、自身も事件に連座して宗政の第一線から身を退いた。

1928年(昭和3年)、勅選により貴族院議員となり研究会に所属し[1]第1次近衛内閣拓務大臣1938年(昭和13年)には内閣参議に就く。兄と共に度々大陸へ渡り、当地の事情に精通していたこともあって、 同年に国策の北支那開発株式会社初代総裁に就任[2]。 しかしながら、志半ばの1939年(昭和14年)、病に倒れ命終、享年54。

親族

妻の泰子は小出英尚の娘。長女の高子は岡崎財閥岡崎真一に嫁ぐ。長男の元(はじめ)は1937年(昭和12年)東京美術学校油絵科に入学後、1941年(昭和16年)繰り上げ卒業。1942年(昭和17年)応召、1943年(昭和18年)出征、1944年(昭和19年)戦死。上田市にある無言館には、遺作の絵画「妹像」が収蔵されている。次女の益子は、はじめ朝香宮鳩彦王允子内親王明治天皇の第八皇女)の第2皇子・音羽正彦侯爵と結婚、侯爵と死別後、小坂財閥の小坂善太郎と再婚している。

逸話

近衛内閣拓務相時代の1937年(昭和12年)、日中戦争が勃発した頃の閣議において陸軍大臣杉山元に「陸軍は一体どの線まで進出しようとするのか」と尋ねたが、杉山は答えなかった。海軍大臣米内光政が見かねて「だいたい永定河保定との線で停止することになっている」と答えた。すると杉山は「君はなんだ、こんなところでそんなことを言っていいのか」と怒鳴ったという逸話がある。

年譜

  • 1898年明治31年)1月10日 - 本願寺にて得度(積徳院)
  • 1904年(明治37年)6月10日 - 本願寺遼東半島臨時支部長として日露戦争軍隊慰問につく。
  • 1905年(明治38年)12月1日 - 本願寺清国開教総監
  • 1907年(明治40年)9月10日 - 東南アジア一帯を海外視察
  • 1908年(明治41年)6月23日 - 本願寺執行長
  • 1909年(明治42年)2月19日 - 本願寺韓国開教総監
  • 1910年(明治43年)5月24日 - ロンドン渡航(同7月16日帰国)
  • 1914年大正3年) - 大谷光瑞が法主引退
  • 1921年(大正10年)3月22日 - 本願寺派管長事務取扱、本願寺派住職事務取扱
  • 1925年(大正14年)10月10日 - アメリカカナダ視察のため渡航(翌年2月22日帰国)
  • 1927年昭和2年)10月22日 - 管長事務取扱辞任
  • 1928年(昭和3年)4月4日 - 貴族院議員[3]
  • 1937年(昭和12年)6月4日 - 近衛内閣拓務大臣
  • 1938年(昭和13年)6月25日 - 拓務大臣辞任、7月18日内閣参議、11月1日北支那開発総裁
  • 1939年(昭和14年)
    • 7月7日 - 興亜委員会委員
    • 8月1日 - 張家口で死去

栄典

位階
勲章等
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受章年 略綬 勲章名 備考
1931年(昭和6年)5月1日 帝都復興記念章[6]
1934年(昭和9年)4月29日 勲四等瑞宝章[7]
1937年(昭和12年)7月5日 勲三等瑞宝章[8]
1937年(昭和12年)11月9日 勲二等瑞宝章[9]
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外国勲章佩用允許
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受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1934年(昭和9年)3月1日 満洲国 満州帝国 建国功労章[10]
1935年(昭和10年)9月21日 満洲国 満州帝国 満州帝国皇帝訪日記念章[11]
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脚注

参考文献

関連項目

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