察南自治政府

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公用語 中国語
1937年-1939年 竹内元平
1937年-1939年 于品卿
察南自治政府
察南自治政府の国旗
国の標語:日察如一、剷除共黨、民族協和、民生向上
公用語 中国語
首都 張家口
最高顧問
1937年 - 1939年 竹内元平
最高委員
1937年 - 1939年 于品卿
1937年 - 1939年 杜運宇
変遷
成立 1937年9月4日
合併 1939年9月1日
時間帯 UTC+9DST:)
先代 次代

察南自治政府(さつなんじちせいふ)は、1937年昭和12年)に中華民国察哈爾省南部で樹立された自治政府。日本傀儡政権とみなされている[1]1939年(昭和14年)に蒙古聯盟自治政府晋北自治政府と合併し、それ以降は蒙古聯合自治政府内の行政区画となった。

上図が察南自治政府庁舎、下図が蒙疆聯合委員会中国語版庁舎
察南自治政府樹立を祝う様子(1937年)

1937年(昭和12年)8月27日関東軍は中華民国察哈爾省の省都である張家口を占拠した。張家口商会の執行委員を務めていた于品卿は日本軍に招聘され、同地を拠点とする張家口治安維持会委員に任命された。9月4日、張家口治安維持会から発展する形で察南自治政府を樹立。張家口はそのまま首都として引き継がれ、察哈爾省南部10県(宣化県万全県懐安県涿鹿県蔚県陽原県赤城県竜関県延慶県懐来県)を管轄する、最大人口200万人の政府となった[1][2]。察南自治政府は施政綱領として「日察如一、剷除共黨、民族協和、民生向上」(日本とチャハルの団結、共産主義勢力の根絶、民族の協和、人民生活の向上)を掲げていた[3]

蒙疆地区には、察南自治政府以外にも蒙古聯盟自治政府晋北自治政府が同時期に樹立されていた。これら3自治政府は、互いの活動の円滑化を図るために蒙疆聯合委員会中国語版を設立したが、この委員会は十分に機能しなかった。従って1939年(昭和14年)9月、3自治政府統合による機能の一本化が行われ、察南自治政府は新たに樹立された蒙古聯合自治政府に吸収される形で消滅した。その際、旧察南自治政府は察南政庁として再編され、新政府の行政区画に組み込まれた。なお、察南政庁は1943年(昭和18年)に宣化省へ改称されている[1]

組織

脚注

関連項目

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