大農令
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職掌と下部機関
治粟内史、大司農と同じく、穀貨を掌った[3]。農業、商業と、その産物である穀物・貨幣の保管である。穀貨が納入されてから支出されるまでを管理し、国家財政をつかさどった。漢には別に帝室財政を掌握する少府があり、大農に匹敵・凌駕する規模があった[4]。武帝時代から、後述の均輸・平準法により、様々な物資の輸送と売買も行うようになった。
下部機関に太倉、均輸、平準、都内、籍田があり、それぞれ太倉令、均輸令、平準令、都内令、籍田令を長官とした[3]。鉄市長を長官とする鉄市もあった[3]。地方の郡国にある諸々の倉、農監、都水の長も配下とした[3]。
太倉は都にある穀物倉を、都内は銭貨を出納し、籍田は官営の農地を管理した。
均輸は元鼎2年(紀元前114年)、平準は元封元年(紀元前110年)に、均輸・平準法の一環として設けられた。平準設置時には数十人の大農部丞が地域を分担し、郡に輸官または均輸官(長官は均輸長)を置した。大農部丞は、似た名の大農丞とは別の、より下の官職である。