大連の歴史
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大連の地名の由来
歴史
夏~商時代 約紀元前2000年~紀元前1000年
神話時代の大連は「青邱古国」である。
周~秦時代 約紀元前1000年~1年
漢~唐時代 約1年~1000年
三国時代の大連は公孫氏燕国の一部である。その後、魏国と西晋と慕容氏燕国(前燕・後燕)と苻氏秦国の一部となった。後燕の衰退により大連は高句驪の一部となった。その後、唐国と遼国と金国の一部となった。
明~清時代 約1000年~2000年
モンゴル時代の大連は元国の一部である。その後、明国と清国とロシアの一部となった。日露戦争の日本勝利の結果、1905年(明治38年)のポーツマス条約により日本の租借地となり、いわゆる「日本統治時代」に入った。関東州大連市は明治時代後期から、大正時代と昭和の途中までである。
1945年(昭和20年)、ソ連対日参戦と日本の降伏により、大連市はソ連軍が占領した。ソビエト連邦は当時の中華民国と結んだ中ソ友好同盟条約により、ソビエト連邦は当地を租借地として管理した。その後、国共内戦の末に成立した中華人民共和国がソビエト連邦と締結した中ソ友好同盟相互援助条約の付属協定に基づき、1955年(昭和30年)に返還された。