大里俊晴
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新潟県出身。新潟県立新潟高等学校を卒業後、早稲田大学文学部でフランス文学を学ぶ。学業と並行して、山崎春美や浜野純らとともにロックバンド「ガセネタ」「タコ」などで演奏活動を行う。この時期は、都内の学園祭や吉祥寺マイナーなどのライブハウス、自販機雑誌『HEAVEN』主催のコンサート「天国注射の昼」で演奏を行った。
大学卒業後、パリ第8大学芸術研究科修士課程、研究課程に学び、ダニエル・シャルルに師事。パリ留学(1987年~1993年)から帰国した1990年代以降は『ユリイカ』などを舞台に現代音楽を主な対象とした評論活動を展開する。また、みずからノイズ系のパフォーマンスを行うとともに、リュク・フェラーリなどフランスの前衛的な音楽家を積極的に日本に紹介した。
1992年には、自らのバンド経験を下敷きにした自伝的青春小説『ガセネタの荒野』(洋泉社)を出版している。
その出版にあたり大里は
一生のお願いがある。何もいわずに、この原稿を本にしてくれ。頼む。一円の印税もお金も受け取る気はない。ただし、一文字も変えずに出版してくれ。それ以外はすべてまかせる。古本屋で百円で売っている本のようなものであってほしい。これを出さないと、俺はこれから生きていけないのだ。パリからも帰れないのだ。
と同郷の友人で出版業界に務める丸宝行晴に語った[2]。
その後は評論活動のかたわら、早稲田大学などの非常勤講師を務めていたが、1997年に横浜国立大学教育人間科学部に助教授として採用された[3]。以降、多彩なゲストを迎えて共演するなど、型破りな授業を展開する[4]。横浜国立大学では、梅本洋一や木下長宏と同僚であり、2000年にはこの3名の共編で『現代フランスを知るための36章』(明石書店)が出版されている。
2006年に公開された、同郷の音楽批評家・間章についての長編ドキュメンタリー映画『AA』(青山真治監督)では、全編にわたりインタビュアーを務めた[5]。
2008年6月に癌告知[2]。その直後、故郷の新潟で「間章に捧げる即興演奏」を敢行。これが最後のソロ演奏となった。
横浜国立大学で同僚だった室井尚[3]や木下長宏[6]によれば、大里はシャイな人柄で医者に体を晒すことを嫌って健康診断を受けず、菜食と甘味に偏った食生活(本人曰く「菜食主義」ではなく「菜食趣味」)[2]によって健康を蝕んだ結果、晩年には闘病を強いられ、遂には落命したという。
亡くなる直前の言葉は以下の通りであった[2]。
2009年11月17日午前1時14分没。享年51(直接の死因は大腸がんではなく静脈瘤破裂)[3]。戒名は俊学晴峰信士[2]。
2010年、評論を中心とした最初で最後の著作集『マイナー音楽のために』(月曜社)が出版された[7]。
2011年には月曜社より生前唯一の単著『ガセネタの荒野』が復刊。あわせてガセネタの10枚組CD-BOX『ちらかしっぱなし-ガセネタ in the BOX』がディスクユニオンからリリースされた。
