大野信三
From Wikipedia, the free encyclopedia
1921年(大正10年)、立教大学商科を卒業後、立教大学教授に就任。同年、留学生として渡欧し、ベルリン大学において経済学の研究に従事する[5]。
熱心に研究活動を行っていたところ、立教大学より帰国するよう命じられ、1926年(大正15年)にシベリア鉄道経由で帰国するものの、なぜか大学教授の職を解かれてしまう。大野は当時病気のため、仕方なく郷里の北海道へ帰り、静養のかたわらで専攻科目の研究に没頭した[5]。
1930年(昭和5年)に、大野は病もすっかり治り、上京することとなり、理解ある立教大学の恩師や校友らを始めとする多くの学生から、その篤学を慕って、大野の立教大学への教授への復職を求める運動が機会あるごとに起こった。しかし大学当局からの許可が出ず、大野は中央大学の教授に就任した[5][4]。