大野喜月 From Wikipedia, the free encyclopedia 大野 喜月(おおの きづき、1863年(文久3年)1月1日 - 1942年(昭和17年)7月20日)は、日本の詩人、俳人、歌人[1]。岐阜県出身。養子に周市。 明治14年(1881年)5月1日、岐阜県加茂郡加治田村の大野喜助に養子となり、喜平を襲名。 家業の傍ら、伊和神社社掌を勤める。 和歌・俳句の文芸に精進し、同門社を結ぶ。 大正10年(1921年)、岐阜市に出て伊奈波神社・県神社神職を勤める。79歳没。 逸話 同門社社中の一人であり、他に長沼花楽・山田寿月・坂井花生・河合五運・大沢碧水・亀井梅香・森春月・大野露月・亀井梅次郎・荘加一木・高木梅竹・大矢求・杉山敏夫・河合米田・森春月・亀井金次郎・山田苔石・足立白楽・堀部石堂・松井琴昇・松本雪生などを数えた[2]。 明治30年(1897年)10月、俳人吾足斎の没後46年にあたり、白華山清水寺境内に自然石を持って「吾足斎之碑」を建てた[3]。 辞世 「長き夜の月見に来たり八〇年。」[4]。 春郷・雪中庵と号する。同門社の中心的存在であった。 養子の周市は加治田小学校校長となり、喜月の作品の一部をのせた[5]。 参考文献 富加町史 関連項目 詩人 俳人 歌人 脚注 ↑ 富加町史通史編 大野喜月 572頁 ↑ 富加町史通史編 二近代の文芸 1俳句 同門社 「明治から大正にかけての頃の加治田の俳句を中心にした同好会。」 571-572頁 ↑ 富加町史通史編 「吾足斎添堂正敬居士」を納め祝福を祈った ↑ 富加町史通史編 大野喜月 573頁 ↑ 富加町史通史編 「加治田局電信電話の開通を祝ひて天翔り地かけりして雷のちからみ通ふ針金の音。」「長良西鵜飼屋、神明宮の改築を祝ひて遷座ます千古の森や公孫樹」 外部リンク 富加町史 下巻 通史編 Related Articles