出羽国出身。宝暦3年(1753年)に大坂相撲で初土俵を踏んだが、6尺4寸(約194cm)、40貫800匁(約153kg)の巨漢を見込まれていきなり看板大関として5月場所に附け出される。体格のみをもって抜擢されることが多い看板大関の中にあって実力も兼ね備えており、以降10年に渡って三役の座を守る。江戸相撲においては、宝暦11年10月場所において関脇で2戦2勝、次いで12年3月場所には大関に附け出されたが全休、これを最後に引退する。
当時の好角家からは、「風貌・仙台の丸山(横綱・丸山権太左衛門)によく似たり」といわれたという。