天岡直嘉
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売勲事件
岐阜県安八郡大垣町(現大垣市)で、旧大垣藩士・天岡通剣の長男として生まれた[1]。1906年東京帝国大学法科大学卒業、内務省入省。
1907年、内閣書記官。1912年、内閣会計課長。1917年に逓信省に移って逓信省為替貯金局長となり、1920年に貯金局が分離すると逓信省貯金局初代局長になった。
友人の借金の保証人となったことから多額の負債を抱え、1926年に免官となる。
翌1927年には破産宣告を受けるが、破産宣告四日後[2]に桂閥の田中義一が総理大臣に就任すると、乞われて賞勲局総裁に就任した。
叙勲を巡り天岡とその周辺に金銭のやり取りがあり、1929年に田中内閣が崩壊すると、天岡は逮捕・起訴された(売勲事件)。1935年になって大審院の判決が下り、懲役2年、追徴金14,250円の実刑判決が確定した。
これにより従三位を失位、勲二等瑞宝章、勲三等旭日中綬章及び大正三四年従軍記章、第一回国勢調査記念章、大礼記念章(大正/昭和)を褫奪された[3][4][2]。