天心流兵法
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メンバー
- 中村 天心
- 鍬海 政雲
- 井手 柳雪
- 武井 霧月
- 滝沢 洞風(まーこ)
- 荒川 岸柳
- 吉村 連彩
天心流の継承について
宝蔵院流について
現在、外物と称し宝蔵院分流陰派を名乗っているが、そのような流派が宝蔵院流や柳生家の史料や古書で今のところ見つかってない。宝蔵院分流陰派の前は宝蔵院支流陰派と名乗っていた。現存する宝蔵院流からは認められていない。
江戸柳生について
天心流兵法は自分たちは江戸柳生の系譜だと主張し、江戸柳生天心流兵法で商標登録をしている。[8]しかし、これも柳生家、新陰流史などの歴史的史料に置いて江戸柳生と天心流兵法が繋がる史料が見つかっていない。天心流兵法は2011年ごろまで「分流を許されて独自の兵法を編み出し、これを天心流と名付け弘めた」と時沢弥兵衛が独自に編み出したものと主張していた[9]が、現在は「宗矩公が編み出した二百数十の技法を整理し独自の兵法を編み出して、これを天心流と名付けました」[10]と柳生宗矩が考えたものを時沢弥兵衛が整理したと主張を変えて、それを元に江戸柳生を主張している。一般的に江戸柳生は江戸時代の柳生宗矩系譜の新陰流のことを指し、公式により天心流兵法は国富家から石井家に伝わり[11]明治以降に東京に道場を構え伝わった[12]と主張している為、時期的にもまた流派としても該当するものではなく、主張通りでも一般的な江戸柳生とは無関係である。
天心一刀流について
綿谷雪の武芸流派大事典に「天心一刀流第四代 中村天心 東京都三鷹市」との記載がある。この人物が天心流兵法の中村天心と同一人物であった場合、石井家三代から数えて四代目であり流祖は石井家の人間になる。しかし、中村天心は九代目を名乗っており矛盾が生じている。さらに公式によって「ちなみにこちらでは天心一刀流となってますが、これは剣(限定)での名称です。全体では天心流兵法、剣の時のみは天心一刀流を称するとの事。」と[13]発言したことにより、剣術は石井家の人間が流祖の団体となった。天心流は団体名ではなく剣術の流派であるため、現在は天心流ではなく天心一刀流の流派という証明になってしまっている。
士林団について
彰義隊との関係性について
彰義隊に、士林団の末裔で天心流を修得した者の末裔が参加していると言う理由で、彰義隊の墓の前で演舞を行っている。しかし、その根拠となる士林団なる集団について前述の通り、幕末歴史研究家の吉野式の調査によって士林団自体が偽史と断定された。更に、その天心流を修得した者について人名など公表しておらず、彰義隊研究の中で天心流を修得した者の末裔に該当する人物は発見されていない。確認出来る関連性は中村天心の言い伝えのみのである。仮に修得した者の末裔がいたとしても、末裔なだけであり彰義隊とは直接的な関係はない。