天日神命
天津神
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概要
考証
北條勝貴は、『日本書紀』顕宗天皇紀において、阿閉事代という同一人物の関与(コトシロは神の言葉を預かり述べる象徴的な人物を意味するとされる)や、事代に託宣を下すのが高皇産霊命を祖とする月神・日神であるという神格の対応性、祭祀を司る氏族がともに玄界灘の島を本拠とし卜部を出す壱岐・対馬の旧国造系氏族であるという祭祀担当者の対応性からすれば、壱岐・対馬の日神・月神が密接な関係にあることは明らかであり、木嶋坐天照御魂神社が元来対馬氏によって奉祀されていたのか、それとも尾張氏系の氏族によって奉祀されていたのかは不明であるが、顕宗3年2月紀・4月紀に見える、上記のような対応性を考慮すれば、日神を奉祀する木嶋社が葛野の月読神社と地理的に近接している事実は無視できず、日月の両信仰が、ある時期に玄界灘から畿内地方へともに移植され、両社もそれらと軌を一にして創建されたものではないかとしている[1]。