大眉光重の父・大眉吉右衛門秀綱が元和元年(1615年)に大阪の今橋に移住し、屋号を「天王寺屋」と名乗ったのが始まりだと考えられている。
江戸時代の今橋は大店の両替商が軒を連ね、現在の今橋1丁目には天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛の2軒が道を挟んで店を構えていたことから、「天五(てんご)に平五(へいご)十兵衛横町」と呼ばれ、開平小学校脇にその記念碑が建てられている[1]。
天王寺屋の邸宅は抵当物件として売りに出され、明治大正期の弁護士・実業家で茶人の高谷宗範[2]が買い取り、京都府宇治市の松殿山荘に移築された。大玄関や茶室にかつての栄華が偲ばれる。