天白渓
From Wikipedia, the free encyclopedia
天白渓を含む八事山は平安時代ごろから景勝地としてよく知られており[3]、山崎川の檀渓や塩竈神社、興正寺、島田地蔵寺などがその一翼を担っていた[3]。天白渓にも美しい景観が広がっており[3]、安政期には星崎天王社の神主であった青山守胤の隠棲の地となった。そのことから、武士、町人など様々な身分の人間が天白渓に集まったとされる[注釈 1][3]。
その後、1910年(明治43年)の八事電車[注釈 2]開通や1912年(大正元年)の八事遊園地開園などにより八事山は観光地としてより大きく発展、慰安旅行や小学校の遠足などにより大きな賑わいを見せた[3]。伝統玩具である『八事の蝶々』が誕生したのもこの頃である[2][4]。天白渓も昭和初期には行楽地として賑わい[2][5]、滝と池、ラジウムによって広く知られた[6]。1927年(昭和2年)には『天白渓遊園地』が完成[7]、上池には水上飛行機、下池にはボートが浮かび、山辺には料理屋、カフェ、芝居小屋、巨大滑り台、貸別荘などがあった[1][8][9]。その様子は吉田初三郎により『天白渓圖繪』として描かれている[10]。当時は『空気新鮮、交通便利な中京唯一の理想的遊園地』とも謳われていた[11]。
大きく賑わった八事山・天白渓であったが、1937年(昭和12年)の東山動植物園開園[注釈 3][12]や1932年(昭和7年)にあった水害の被害[13]などにより衰退、戦時体制に入ったこともあり修繕されることもなく寂れていった[1][2][3]。現在、上池は埋め立てられてグラウンドとなり、下池も大きく縮小、往時をしのぶものはない[1][2]。
自然・施設
以下に天白渓に存在していた自然・施設について述べる。
八事裏川
| 八事裏川 | |
|---|---|
|
| |
| 水系 | 二級水系 天白川 |
| 種別 | 普通河川 |
| 河口・合流先 | 植田川 |
| 流域 |
|
(やごとうらがわ)
現存。愛知県名古屋市を流れる天白川水系の普通河川[14]。植田川の支川である[14]。
川にはかつて上下の池、青山の滝、天白渓湿地[15]などがあり天白渓を形成していた。上下の池はラジウムに富んでおり、『新愛知』では「絵のような池」と評されている[6]。上池と下池の間の区間では、竜頭をかたどった船が人々を運んだ[6]ほか、噴水も存在した[10]。1932年(昭和12年)には水害を起こし、天白渓衰退の原因となった[13]。現在ではライブカメラが設置されている[16]。
上池
現存しない。眺湖堤が存在した[13]ほか、水上飛行機が浮かんでおり、大人は二十銭、小人は十銭で乗ることができた[9][11]。現在は埋め立てられ名城大学のグラウンドとなっている[1]。戸笠池や島田新池、御小納戸池などと同様、現在の南区へ水を引くため池であり、上池は愛知郡桜村のため池であった[3]。
下池
現存。ボートが浮かんでおり、水は浅く、魚とりをする子供もいた[1][9]ほか、プールとしても使用された[13]。上池同様、桜村のため池であった[3]。現在では一部が埋め立てられ天白渓下池公園となっている[1][17]。
青山の滝
現存しない。下池の東南端にあった。上池の水が落下しており[3]、落差30メートルほどであった[6]。付近にはかつて青山氏一族の墓が存在した[注釈 4][3]。
「1832年(天保3年)、眼病を患い、両目を失明した鈴木文七がこの滝にこもって37日間水祈願したところ、お告げを受け両眼がたちまち開いた[注釈 5]」という伝説が残っている[3][18]。鈴木文七はその後、妙見山浄昇寺を開山したとされる[3][18]。 天白渓には他にも滝があり、『天白渓圖繪』にもその姿が描かれている[10]。
天白渓湿地
現存しない。天白渓の谷間に大きく広がっていた。現在は住宅地となっている[15]。現在の『天白渓湿地』とは別である[15]。
現在の『天白渓湿地』は八事裏川の水源のひとつとなっている。一度消滅したが、その後は復元作業も行われた[19]。特別緑地保全地区に指定されている[20]。
橋梁
下流より順に記載。
- 手前から植田西部一号橋、天白20号溝橋
(2024年(令和6年)2月)
山岳
全て小規模な山、東部丘陵の一部である。

