天石立神社
奈良県奈良市柳生町の岩戸谷にある神社
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祭神
扉形に3つに割れた花崗岩の巨岩「前伏磐」、「前立磐」、「後立磐」の3石の周囲の樹間に注連縄を張り廻らし、これを神体として祀る。「前立磐」は「神戸(かんべ)岩」とも称すが、他の2岩とともに天岩戸の扉石が落ちてきたものという。また昭和28年(1953年)に南西の崖から落ちてきた丸形の「きんちゃく岩」を加え祀っている。
- 前立磐
- 豊磐牖命(とよいわまどのみこと)の神体岩で「天岩立神社」とも称す。板形、高さ6.0m、幅7.3m、厚さ1.2m。
- 後立磐
- 櫛磐牖命(くしいわまどのみこと)の神体岩で「天岩吸神社」とも称す。板形。
- 前伏磐
- 天岩戸別命(あまのいわとわけのみこと)の神体岩で「天立神社」とも称す。板形、1.2m、幅約7m、厚さ1.2m。
- きんちゃく岩
- 天照大姫命(あまてらすおおひめのみこと、天照大御神)の神体岩で「日向神社」とも称す。丸形、幅7m、高さ7m。
各岩の祭神は『玉栄拾遺』に依るが、いずれ巨石を神霊の依代と見る古代日本における自然崇拝の好例として注目される[3]。
なお、鎮座地一帯に分布する巨石のそれぞれにも、全て3,123柱の神々が宿るとしている。
由緒
本殿もなく巨岩そのものを神体として崇める太古からの祭祀の形態を遺す古社で、創祀の年代など詳らかにすべくもない[4]。鎮座地後方に聳える戸岩山にかけての到る所にも巨石が見られるほか、柳生を初めとする奈良市の山間部には巨岩、巨石に対する信仰の形跡が多く見られ、大柳生町に鎮座する夜支布山口神社の摂社立盤神社等も巨岩上に社を構えている。
平安時代の『延喜式神名帳』には小社として記載され、社伝によれば神代の昔、天岩戸の故事に基づいて創祀されたという。即ち、手力男命が天岩戸を開いた時にその扉石が当地に飛来したもので、「神の宮居の戸」の謂いから「神戸岩」とも称したという[2][5]。また、当地一帯は関白藤原頼通の時代に春日大社に神領として寄進されたが、その折には神戸岩が鳴動したといい、近世初頭に至るまで皇室に慶事ある度に鳴動を繰り返したという[6]。
柳生宗厳(柳生石舟斎)が当神社で剣術の修行をしたと伝え、江戸時代には柳生藩の歴代藩主から崇敬された。柳生宗弘(俊方)の寄進にかかる宝永2年(1705年)銘の石灯籠や同俊平による寛保2年(1742年)銘のそれが残されており、柳生家の菩提寺である芳徳寺には寛永2年(1625年)の奥書のある当神社の縁起書、『神戸岩縁起』が伝わっている。




