天竹神社
愛知県西尾市の神社
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概要
沿革
祭神
神事
綿伝来の伝承
『日本後紀』、『類聚国史』、『大日本史』などに、以下のような内容の記述がある。
延暦18年(799年)、三河国幡豆郡(現在の矢作古川の河口付近)に1艘の小船が漂着した。その船には1人の若者が乗っていたが、全く言葉が通じなかった。布で背を覆ってふんどしをつけ、左肩に袈裟に似た紺色の布を着けた服装であった。所持品は一弦琴[注 2]と綿の種子が入っていた壺[注 3]などであった。唐人は「彼は崑崙人だ」と言ったという。その後、この漂着者は言葉を習い、自分は天竺からやってきたことを伝えたという[2]が、実際どこからやってきたかは、東南アジア、ペルシアなどの説もある。
崑崙人はこの地に住み、住民に綿の栽培を伝えた。さらに紀伊国、淡路国、阿波国、讃岐国、伊予国、土佐国、筑前国などで栽培方法を伝えた[注 4]後、近江国分寺で僧侶となったという。
崑崙人が漂着した地は天竺と改称され、その後「天竹」となったという。

