太田 (新潟市)
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隣接する町字
歴史
太田古屋
太田古屋(おおたごや)。1889年(明治22年)から1955年(昭和30年)までの大字。新発田川下流左岸に位置する[5]。
もとは1881年(明治14年)から1889年(明治22年)まであった太田古屋村の区域の一部で、1881年(明治14年)に太田興野と太田興野新田の一部が合併して成立した[5]。
1886年(明治19年)に太田興野、太田興野新田地先、太田上興野、太田上興野新田地先を合併[5]。
- 太田興野(おおたごうや)
- 江戸時代から1886年(明治19年)の村名。新発田川下流左岸に位置する[6]。
- 1730年(享保15年)に阿賀野川松ヶ崎開削翌年の阿賀野川松ヶ崎本流化により開発が始まり、1734年(享保19年)に検地を受けた[6]。
- はじめは黒山新田と称したが、1737年(元文2年)の再検地で太田興野に改称する[6]。
- 太田興野新田地先(おおたごうやしんでんちさき)
- 1868年(明治元年)から1882年(明治15年)の村名。新発田川下流左岸に位置する[5]。
- 幕末に開発され、1868年(明治元年)に成立したとされる[5]。
- 太田上興野(おおたかみごうや)
- 江戸時代から1886年(明治19年)の村名。新発田川下流左岸に位置する[7]。
- 1730年(享保15年)に阿賀野川松ヶ崎開削翌年の阿賀野川松ヶ崎本流化により開発が始まり、1734年(享保19年)に検地を受けた[7]。
- はじめは城掛新田と称したが、1737年(元文2年)の再検地で太田上興野に改称する[7]。
- 1881年(明治14年)に旧新発田藩領が太田上古屋村の一部となり、1886年(明治19年)に残りが太田古屋村の一部となる。
- 太田上興野新田地先(おおたかみごうやしんでんちさき)
- 1868年(明治元年)から1882年(明治15年)の村名。新発田川下流左岸に位置する[7]。
- 幕末に開発され、1868年(明治元年)に成立したとされる[7]。
太田上古屋
太田上古屋(おおたかみごや)。1889年(明治22年)から1955年(昭和30年)までの大字。新発田川下流左岸に位置するに位置する[7]。
もとは1881年(明治14年)から1889年(明治22年)まであった太田上古屋村の区域の一部で、1881年(明治14年)に太田上興野の一部と太田上興野新田が合併して成立した[7]。
分立した町字
1889年(明治22年)以後に、以下の町字が分立。
- かぶとやま
- 2006年(平成18年)に太田字城山から分立した町字。
年表
世帯数と人口
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 新潟市立葛塚東小学校 | 新潟市立葛塚中学校 |