太田泰昌

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太田 泰昌(おおたやすまさ、生没年不詳)は戦国時代武将後北条氏家臣。

生誕 不明
死没 永禄6年(1563年)8月4日
別名 又三郎、弾正忠、豊後守、宗清(法名)
概要 凡例太田 泰昌, 時代 ...
 
太田 泰昌
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄6年(1563年)8月4日
別名 又三郎、弾正忠、豊後守、宗清(法名)
主君 北条氏綱北条氏康北条氏政
氏族 秀郷太田氏
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生涯

泰昌の血統は秀郷流であり、源姓江戸太田氏とは異なる[1]

天文3年(1534年)2月に鶴岡八幡宮廻廊奉行の一人として見えるのが初見。この時は、玉縄衆の1人であったとみられるが、その後、河越衆、松山衆と配置換えされている。同10年(1541年)1月に武蔵河越城で戦功を挙げている。同23年(1554年)の下総国古河城攻略でも戦功を挙げている[1]

永禄2年(1559年)の「役帳」では、松山衆の寄親の1人として、相模国千代を本領に東郡須崎、梶原分、武蔵国吉見郡大串之内乙卯検見、比企郡戸森、上野国高嶋江の合わせて529貫120文を知行している。永禄6年(1563年)8月4日死去[1]

脚注

参考文献

関連項目

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