信濃国松本城下に松本藩士の子として生まれる。藩校崇教館に学び、慶応年間には藩の師範代となる。1870年藩命により大阪陸軍兵学寮に入り1872年卒業。のち西南戦争に従軍。
日清戦争では貔子窩に上陸し金州城の戦いに参戦。下関条約で日本が台湾を支配すると、守備隊歩兵第4連隊長として嘉義城に入城。1898年に第1師団歩兵第15連隊長、1900年に第7師団歩兵第26連隊長。
日露戦争では盛京省鳳凰城を守備し遼陽会戦、沙河会戦に参戦。1905年後備歩兵第1旅団長となり、陸軍少将となる。その後歩兵第30旅団長として再出征し、1906年予備役に編入され帰朝した。
1907年10月21日没、墓所は東京都港区の青山霊園立山地区。