太田青丘
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長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎(ひょうざぶろう)。太田水穂の兄・嘉曾次の三男で、父の没後に水穂・四賀光子夫妻の養子となる。当初は漢詩の創作から始まり、1928年(昭和3年)水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部中国文学科卒。東大大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。儒学者・藤原惺窩の研究を行った。
1949年(昭和24年)法政大学教授。1955年(昭和30年)「日本歌学と支那詩学との交渉」で東京大学文学博士。1965年(昭和40年)、養母・四賀光子の跡を継いで『潮音』代表者。1980年(昭和55年)法政大学定年退職。1983年(昭和58年)、第32回神奈川文化賞受賞。1984年(昭和59年)、編者として『太田水穂全歌集』(短歌新聞社)を刊行。歌会始選者や信濃毎日新聞歌壇選者も務めた。『潮音』は没後、妻の絢子が継承した。