太閤出世餅
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概要
由来
太閤出世餅の名称の由来には諸説があるが、豊臣秀吉が伊勢神宮へ参詣時に、伊勢国国司の北畠氏が古市に設けた長嶺茶屋に立ち寄った際、焼餅を献じたところ、「美味也」と賞賛した故に、太閤餅と名付けたと『神都長嶺記』に記されている。販売店の公式サイトではこの説を採用している[3]。神都長嶺記は寛政8年(1796年)に伊勢神宮の宮掌(神主)大内人秦定賢が、当時の人々の生活や文化及び故事来歴等を記した古文書である。
秀吉自らが店で出された餅菓子を焼いて食べたという説を紹介するものもある[1][2]。この説によれば、主人のお供として度々伊勢を訪れていた秀吉が2本の竹で巧みに餅を焼いて見せ、参宮客の前で面白おかしく見せびらかして食べたのが始まりだという[1]。太鼓のような焼き餅であることにちなむ説もある[4]。『宇治山田市史』では「太鼓説」が最も有力とする[5]。また、同書では遊客のお供に来た幇間(たいこもち)を待遇する際に供したから、という説も紹介する[6]。
