奈良和 From Wikipedia, the free encyclopedia 出身地 日本 東京都生年月日 (1934-01-06) 1934年1月6日没年月日 (1995-01-30) 1995年1月30日(61歳没)最終学歴 東京教育大学農学部なら かず奈良 和プロフィール出身地 日本 東京都生年月日 (1934-01-06) 1934年1月6日没年月日 (1995-01-30) 1995年1月30日(61歳没)最終学歴 東京教育大学農学部職歴 九州朝日放送・日本教育テレビ(NET)→テレビ朝日アナウンサー活動期間 1956年 - 1994年ジャンル ニュース・報道番組配偶者 あり著名な家族 奈良陽(弟)出演番組・活動出演経歴 奈良和モーニングショー備考テレビ朝日時代はアナウンス部長就任アナウンサー: テンプレート - カテゴリ 奈良 和(なら かず、1934年(昭和9年)1月6日 - 1995年(平成7年)1月30日)は、日本教育テレビ・テレビ朝日アナウンサー。初代アナウンス部長を務めた。 年表経歴 1957年3月 - 同年4月 東京教育大学農学部卒業[1]、九州朝日放送にアナウンサーとして入社[2] 1958年 開局を控えるNETテレビに移籍[3] 1959年 皇太子ご成婚パレードでは民放の代表実況を担当[3] 1969年4月 - 1976年10月15日 『モーニングショー』の総合プロデューサーに就任した小田久栄門によって、第3代メインキャスターに起用[4]、(番組は司会者名の冠タイトルが付くため「奈良和モーニングショー」) 1977年 通称がテレビ朝日に変更になったのと同時に初代アナウンス部長に就任し、古舘伊知郎など後進の育成に努めた 1994年 同局を退職 1995年1月30日 急性心筋梗塞のため都内の病院で死去、61歳没[3] その他 弟にTBS報道アナウンサーを担った奈良陽がいる 脚注 [脚注の使い方] ↑ 『1979年度版 芸能手帳 芸能界紳士録』(連合通信社、1978年)p126 ↑ 九州朝日放送50年史資料編、社員入退社一覧154ページ 1 2 3 『読売新聞』夕刊 1995年1月31日 15頁 ↑ 志賀 2003, p. 421. 参考文献 志賀信夫『映像の先駆者 125人の肖像』日本放送出版協会、2003年3月。ISBN 978-4140807590。 表話編歴モーニングショー歴代キャスター 期間メインサブ 1964.4.11968.3.29 木島則夫〇栗原玲児↓マイク眞木↓小椋克己1井上加寿子○ 1968.4.11969.3.31 長谷川肇ばばこういち下重暁子 1969.4.11976.10.15 奈良和○溝口泰男鈴木弘子2↓菊池敏恵↓若林善子↓片岡彰子↓渡辺直子 1976.10.181976.12 竹中陽一3 1977.11977.4.29 溝口泰男、渡辺直子 ほか4 1977.5.21980.3 溝口泰男渡辺直子銅谷志朗○ 1980.41983.3.31 柴田美保子八波一起 1983.4.11986.9.30 江森陽弘5 1986.10.11986.12 美里美寿々〇6高井正憲○ 1987.11987.10.2 寺崎貴司○ 1987.10.51988.10.7 武見敬三飯干恵子7藤井暁○ 1988.10.101990.3 内田忠男横山悦子8八波一起 1990.41991.3.29 篠田潤子○ 1991.4.11993.4.2 渡辺宜嗣○ロザンナ・ザンボン 1993.4.5 2015.9.25 『スーパーモーニング』→『モーニングバード』放送のため無し 2015.9.282019.3.29 羽鳥慎一宇賀なつみ○ 2019.4.12022.4.1 斎藤ちはる○ 2022.4.4現在 森山みなみ○ 〇-出演当時、NET→テレビ朝日局アナウンサー(嘱託の木島・美里を含む) 1 高知放送所属のアナウンサー(当時)。同局からの出向扱いで番組に出演。 2 産休により降板。 3 一般公募による起用(前歴は日本経済新聞社所属のカメラマン→タクシードライバー)。わずか3か月で降板。 4 この時期は溝口、渡辺を中心とした複数司会制をとっていた。 5 当時は朝日新聞記者。 6 田丸美寿々の旧名。 7 飯星景子の旧名。 8 静岡けんみんテレビ(現・静岡朝日テレビ)所属のアナウンサー(当時)。同局からの出向扱いで番組に出演。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。表示編集 Related Articles