江森陽弘
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| 年表 | 経歴 |
|---|---|
| 1932年6月2日 | 東京都出身[3] |
| 1961年4月 | 埼玉県立熊谷高等学校を経て早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、朝日新聞社入社[1] |
| 同新聞社入社後 | 社会部の記者として事件の最前線で積極的に取材活動を展開し、その後社会部次長、週刊朝日副編集長、編集員などを歴任 |
| 1983年4月 - 1986年9月 | 関連会社・テレビ朝日で放送のワイドショー『江森陽弘モーニングショー』のメインキャスターを担当 |
| 1987年 | 朝日放送・テレビ朝日共同制作の高校野球ダイジェスト番組『熱闘甲子園』の進行役も務めた |
| 1980年代後半 | TBSラジオ「江森陽弘のニュースマガジン」の司会者でもあった |
| 1988年 | 朝日新聞を退社しフリージャーナリストとして活動を開始すると共に、朝日放送で放映された『素敵にドキュメント』の初代キャスター、また学校での学級崩壊やいじめ、社会福祉などの諸問題にも積極的に取材活動を続けていた |
| その他 | ドラマ『教師びんびん物語II』(1989年、フジテレビ系列)、『天までとどけ』(1991年〜1999年、TBS系)、映画『木村家の人びと』(1988年)などで俳優に挑戦 |
| 1998年 - 2002年 | 東京都町田市教育委員を務めた[4] |
| 2015年11月12日 | 肺炎のため死去[1][2]、83歳没 |