奥田剛郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

奥田剛郎

奥田 剛郎(おくだ たけろう、1888年明治21年)11月9日[1] - 1981年昭和56年)3月24日[1][2])は、大正から昭和期の検察官政治家法学者華族貴族院男爵議員

農商務省官僚奥田義人の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1917年(大正6年)10月1日、男爵を襲爵した[1][3][4]

1914年(大正2年)東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[2][3][5]。同年、三菱造船に入社[2]1923年(大正12年)検事に任官し、新潟区裁判所横浜地方裁判所兼区裁判所、浦和地方裁判所兼区裁判所、東京刑事地方裁判所、東京控訴院の各検事を歴任した[2][3]

1936年(昭和11年)3月14日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[6][7]公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した[2]

その後、中央大学法学部教授に就任し、同学部長、同大学理事、同監事などを務めた[8]。1981年に神奈川県中郡大磯町の自宅で病のため死去した[8]

著作

  • 『相続法講義』精興社書店、1938年。
  • 『身分法』第1、第2、学芸書房、1957年。

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI