奥窪央雄
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路面電車存続への関与
高度経済成長期、日本各地でモータリゼーションの進展により路面電車の廃止が進む中、広島でも廃止論が強まった。中尾正俊は、当時広島電鉄の電車部長であった奥窪が、路面電車廃止に反対し、広島県警察本部の担当者と議論を重ねたことを紹介している[2]。
同論文によれば、奥窪は、当時の広島には路面電車に代わる都市鉄道がなく、単純なバス転換では渋滞が悪化すると考えたうえで、問題は車両性能ではなく、軌道敷内への自動車流入などにより「走れない」ことにあると捉えていたという[2]。
この時期の取り組みについて、広島経済レポートは、奥窪が広島県警の担当課長とともにドイツを視察し、その後の軌道敷内への自動車乗り入れ禁止につなげ、広島の路面電車を守ったと報じている[3]。