奥窪央雄

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奥窪 央雄(おくくぼ ひさお、1922年 - 2016年4月15日[1])は、日本実業家広島電鉄の元代表取締役社長で、同社電車部長時代に広島路面電車存続に関与した人物として、交通政策および路面電車史の文脈で言及されている[2][3]

1922年生まれ[4]1955年鉄道電化協会の機関誌『電気鉄道』に「広島電鉄におけるPSコンクリート電柱について」を寄稿しており、広島電鉄の技術・運行部門に関わっていたことが確認できる[5]

1989年に広島電鉄株式会社の代表取締役社長に就任し、1996年まで務めた[6]。1992年刊行の社史『広島電鉄開業80創立50年史』の書誌では、奥付の発行者表示が「奥窪央雄(取締役社長)」となっており、この時点で広島電鉄の社長職にあったことが確認できる[6]。社長退任後は同社の役職に留まり、後年は会長職にも就いた[2]

2016年4月15日、肺炎のため死去。93歳[1]。長男は医療機器メーカーJMS会長の奥窪宏章[1]

路面電車存続への関与

高度経済成長期、日本各地でモータリゼーションの進展により路面電車の廃止が進む中、広島でも廃止論が強まった。中尾正俊は、当時広島電鉄の電車部長であった奥窪が、路面電車廃止に反対し、広島県警察本部の担当者と議論を重ねたことを紹介している[2]

同論文によれば、奥窪は、当時の広島には路面電車に代わる都市鉄道がなく、単純なバス転換では渋滞が悪化すると考えたうえで、問題は車両性能ではなく、軌道敷内への自動車流入などにより「走れない」ことにあると捉えていたという[2]

この時期の取り組みについて、広島経済レポートは、奥窪が広島県警の担当課長とともにドイツを視察し、その後の軌道敷内への自動車乗り入れ禁止につなげ、広島の路面電車を守ったと報じている[3]

評価

脚注

参考文献

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