姚緒

From Wikipedia, the free encyclopedia

姚 緒(よう しょ、生没年不詳)は、五胡十六国時代後秦軍人政治家南安郡赤亭(現在の甘粛省定西市隴西県)の人。族の部族長の姚弋仲の子で、後秦の創建者の姚萇の同母弟である。後秦の柱石として重きをなした。

征虜将軍に任じられた。386年7月、後秦皇帝の姚萇の指示により、司隷校尉に任じられ、常安を鎮守した。

393年12月、姚萇が亡くなり、長男の姚興が後継となった。姚興の指示により、安定を鎮守した。

395年、姚興が皇帝に即位すると晋王とされた。

396年12月、西燕河東郡太守だった柳恭、安定郡太守だった秦茂らは各々兵を擁して守りを固めていた。姚興は姚緒にこれらの討伐を命じた。柳恭らが黄河に拠って守りを固めると、姚緒は対岸へ渡ることができなかった。鎮東将軍薛強はこれに先立って楊氏堡に拠っていた。薛強は姚緒軍を先導して、龍門から黄河を渡って蒲坂に入った。新平・安定を攻めると柳恭らは支えきれずに降伏した。新平・安定の6千戸を移して、蒲坂の充実を図った。姚緒は并州冀州二州牧に任じられた。

399年、姚興が皇帝から天王を称すると、王爵を辞退したが許されず、改めて固く辞退してようやく許され、晋公とされた。

402年5月、後秦は北魏討伐を行った。姚緒は河東の兵を統率して前軍節度となった。

10月、柴壁の戦いで、後秦軍が壊滅すると北魏軍が蒲坂を攻めたが、姚緒はこれを固守して戦わなかった為に北魏軍は得るところなく引きあげた。

没年は不明だが、官位は丞相まで至った。敬王とされた。

412年姚碩徳・姚旻・姚崇・尹緯らと共に姚萇の廟に配饗された。

人物・逸話

家庭

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI