姫路監禁殺害事件

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姫路監禁殺害事件(ひめじかんきんさつがいじけん)は、2009年(平成21年)から2011年(平成23年)にかけて、兵庫県で発生した一連の逮捕監禁・監禁致傷・監禁致死・殺人事件である。神戸地方裁判所姫路支部で行われた本事件の首謀者Xの裁判員裁判は207日に及び、裁判員裁判として最長となった[1][2][3]

日付 2009年4月(C逮捕監禁)
2009年8月(D監禁致傷)
2010年4月(B監禁致死)
2010年6月(C殺害)
2010年8月(E逮捕監禁)
2011年2月(A殺害)
攻撃手段 拳銃による銃殺または絞殺とされる
死亡者 3人(元暴力団組員A、B、元会社社長C)
犯人 パチンコ店経営者X・Xの店の元従業員Uら
姫路監禁殺害事件
日付 2009年4月(C逮捕監禁)
2009年8月(D監禁致傷)
2010年4月(B監禁致死)
2010年6月(C殺害)
2010年8月(E逮捕監禁)
2011年2月(A殺害)
攻撃手段 拳銃による銃殺または絞殺とされる
死亡者 3人(元暴力団組員A、B、元会社社長C)
犯人 パチンコ店経営者X・Xの店の元従業員Uら
容疑 逮捕監禁・監禁致傷・監禁致死・殺人
動機 X:A、Bに対して実父傷害致死事件の復讐、Cに対して借金回収とされる
U:Xからの報酬目当てとされる
謝罪 なし
刑事訴訟 首謀者X - 無期懲役
実行犯U - 死刑(上告棄却により確定 / 未執行
管轄 兵庫県警察
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2011年2月、兵庫県姫路市で元暴力団組員の男性Aの遺体が発見された[4][5]。その後の捜査で、Aの他に元暴力団組員B、会社社長Cらに対する逮捕監禁・監禁致傷・監禁致死・殺人の容疑でパチンコ店の実質的経営者X、U、Xのパチンコ店の従業員らが逮捕・起訴された。本事件によりA・B・Cの3名が死亡したとされるが、犠牲者の内のBとCの2名の遺体は見つかっていない。遺体が見つかっていないことをはじめとして直接証拠が乏しいことに加え、被告が大半の起訴事実を否認したため、神戸地方裁判所姫路支部で行われたXの裁判員裁判は207日に及び、裁判員裁判として最長となった[1][2][3]

また、主犯Xと従犯Uの公判の間で、一件の殺人に対する事実認定が分かれ(Xの公判では証拠不十分で無罪[1][2][6] 、Uは有罪[7][8][9])、量刑においてもXが無期懲役、Uが死刑で確定し、主犯より従犯の方が量刑が重い判決が下された[10]

事件の経過

背景

1999年(平成11年)11月19日、Xの父親がゴルフの練習器具で殴打されて死亡する事件が発生し、犯人として暴力団に所属していたAが訴追され懲役5年6ヶ月の実刑判決を受け服役したが、Xは事件前に父親とトラブルがあった同暴力団のBらの関与を疑っていた[11][12]。また、Aは犯行動機として、Xから暴力を振るわれたことに対する報復をしようとしてXを探したが見つからなかったためXの父を狙ったと述べ、この供述によりXは自らが原因で父が死亡したなどと家族から責められ、父の相続においても財産を得ることはなかった[13]。父の死後、Xは兵庫県姫路市内のパチンコ店2店舗の実質的経営者となった[注釈 1][14]

2007年(平成19年)ごろ、Xは、Cが代表取締役、 Dが財務担当の取締役を務める会社と関係を持つようになったが、2009年(平成21年)1月30日、Cの会社に融資していた10億円が返済されなかった上、融資の際にCの会社が返済のための資力を偽っていたことが発覚した。激怒したXはCの会社との提携を放棄し、融資金回収に注力するため、部下らをCの会社に派遣してCやDを監視させ、回収を進めた。ところが、同年3月23日、Cらは「事件屋」を頼ってXの下から逃れたことから、XはCらの奪還と「事件屋」対策のため、旧知のUを呼び出した[14]

C監禁事件

2009年4月12日から13日にかけて、XはUらに男性C(当時49歳)を東京から姫路市に連れ出させ、4月20日ごろから、姫路市内のマンションや事務所の鉄パイプで作られた檻の中に監禁した[14]

D監禁事件

「事件屋」と行動を共にしていた男性D(当時33歳)は、XらによってCが監禁されたと考え、2009年6月18日発売の週刊誌に自分たちの非を隠してXがCを監禁したことをほのめかす記事を書かせた。これにXは激怒し、8月17日、Uらとともに神奈川県鎌倉市内の駐車場で Dの逮捕監禁を企図し、Dを殴打・首を締め付けるなどした上で、顔面にナイフを突きつけて「騒ぐな。殺すぞ」などと脅迫して、手錠をかけて車の後部座席に押し込み、抵抗するDにさらに暴行を加え、車を発進させて約1時間監禁した。これによりDは全治約2週間の負傷を負った[11][15]

B監禁致死事件

2009年秋ごろ、Uの知人男性Yは、Uから、Xの指示で元暴力団組員A を拉致監禁して、Xの父が殺された真相を聞き出した後殺害し焼却するという計画を聞いたという[16]。このとき、YはUの目的がXからの報酬にあることを聞いたという[17]

2010年(平成22年)2月末ごろか3月初めごろ、YはUから前年秋ごろに聞いた拉致殺害計画のターゲットがAからAの暴力団時代の元上司の男性B(当時57歳)に変更されたことを聞いたという[16]。Xらは、Aが2月22日に別件で懲役6ヶ月の実刑判決を受けたため、Aをターゲットにすることを中止していた[11][17]

4月13日、UとXのパチンコ店従業員ら3人は姫路市のパチンコ店駐車場で背後からBを襲い、手足を粘着テープで縛った上で、口を粘着テープで塞いで寝袋に入れ、車で兵庫県三木市の倉庫(以下「三木倉庫」)に拉致した。その過程でBは死亡したと考えられている。Yは、2010年春頃にUから、Bを拉致して倉庫に到着して寝袋を開けた時にBはすでに死亡しており、その死体をチェーンソーで解体して焼却炉で燃やしたことなどについて聞いたという[16][18]

兵庫県警は、後述するA監禁事件の通報を受けて2010年9月末に三木倉庫を管理下に置いた。その後、B、Cを被害者とする事件を捜査する過程で、2015年に倉庫内の焼却炉を改めて調査したところ、骨の成分を含む固体が18点発見され、人獣鑑別の結果、このうちの3点に関して人の骨の可能性が高く、他の動物の可能性は極めて低いとの結論が得られた。また、倉庫から採取された血痕の一部のDNA型がUとBのものと一致した[19]

C殺人事件

2010年4月か5月ごろ、YはUから拳銃2丁を見せられた。6月初めごろには、YはUから2009年4月以降監禁して管理下に置いているC(当時50歳)を三木倉庫に連れて行き、拳銃を用いて殺害し、焼却炉で処分する計画を聞かされ、その手伝いを依頼されたYは了承したという[20]

6月9日、監禁されて以降も時折かかってきていたというCから妻への着信がこの日を境に無くなる[21]

6月13日ごろまで監禁されたCは、同日ごろ、目隠し、手錠をされた上に、両足を縛られてUが運転する車で連れ出された[11]。この日の前後にCは拳銃で至近距離から撃たれて殺害されたと見られており、YもUからCを拳銃で殺害したことを聞いたという[22][23]

Uは2010年6月中旬ごろ、Xから100万円を受け取った[22]

E監禁事件

2010年7月中旬ごろ、激務に耐えかねてXのパチンコ店従業員E(当時30歳)が逃亡した。8月下旬ごろ、Eが自宅に戻ったという報告をUから受けたXは、Eがパチンコ店の違法営業に関する機密を外部に漏らしてないかを疑い、8月30日、UらとともにEを目隠しおよび両手錠をした状態で三木倉庫まで連れ出し、木材等を組み合わせて製作した箱型の小部屋にEを監禁した[24]。9月28日、Aが同倉庫から逃亡し、間も無く付近に警察がいるものと認識したUはEを解放した。その後、XはEを再び自身のパチンコ店で雇用した[25]

A監禁・殺人事件

2010年9月28日、8月25日に出所したAに対する拉致監禁・殺害計画を再び立てたXらは、車に引きずり込んでAを拉致、三木倉庫に連行して監禁し、全治10日の負傷を負わせた[26]。Uは、Aが所属していた暴力団幹部のしのぎや関係性を聞き出すなどしていたが、Uが目を離した隙にAは倉庫から逃亡した。Aは午後3時10分ごろに近隣民家に逃げ込み、民家の住民が110番通報し、パトカーで民家に臨場した警察官にAは保護された。UはA逃走後程なくこれに気づき、同倉庫に監禁していたEを解放して一緒にAを探したが見つからず、その後かかってきた電話に「すいません。逃げられました。私の責任です。絶対に捕まえます。死んで償います」などと告げ、パトカーのサイレン音が聞こえてくると、「通報されたと思います」と告げ電話を切った[27]

兵庫県警は、9月29日以降、三木倉庫を管理下に置き、これによりX達は同倉庫を使えなくなった[28]

Xは、UらにA(当時37歳)の転居先を探させ、2011年(平成23年)2月10日、帰宅してきたAを背後から襲って自動車に無理やり乗せ、両目に粘着テープを巻き付け、両手足を結束バンドで緊縛した上で寝袋に入れて姫路市の倉庫に監禁し、翌11日午前2時半ごろまでの間にAを窒息死させた[26]。2月10日夕方、「姫路で男性が男2人組に車で連れ去られた」と女性の声で110番通報があり、兵庫県警が男性の行方を探していたところ、翌11日午後10時20分ごろに姫路市内に路上駐車されていた保冷車の中から顔に殴られたような傷があるAの遺体が発見された[4][5]

逮捕

2011年4月、UがCに対する逮捕監禁容疑で逮捕された[29]

12月26日、A殺害事件以降逃亡していたXがDに対する恐喝の容疑で逮捕[30]

2014年(平成26年)11月14日、X、Uと他3人が2009年4〜9月にわたって姫路市内のマンションの一室や倉庫でCを逮捕監禁した容疑で再逮捕された。XとUが逮捕されたA殺人事件の捜査の中から、容疑が浮上した[31]

2015年(平成27年)6月10日、C殺害容疑でUを逮捕。Cの遺体は発見されていないが、監禁が長期に及んでおり、生存を示す情報もないことなどを理由にした逮捕となった[32]

兵庫県警の捜査に対する損害賠償訴訟

Xと男2名(逮捕監禁罪で有罪が確定)は、兵庫県警察の捜査員が、男2名に対して2011年2月から2012年1月にかけて任意捜査段階で警察署の取調室やホテルに最大4泊5日させたことや、Xに対する取り調べで「弁護士の言うことを聞いていたら最悪の結果になる」 などと言ったことについて、違法な捜査で精神的苦痛を受けたとして県と国に対して計1300万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。2015年10月29日、神戸地方裁判所(伊良原恵吾裁判長)は県警の一部捜査の違法性を認定し、県に87万円の支払いを命じた。判決では宿泊を伴う取り調べを「実質逮捕といえる違法な身柄拘束」とし、Xの取り調べにおける発言も「被告を不必要に混乱させ、弁護士との信頼関係の形成を妨害した」と結論づけた[33]

裁判

参考文献

脚注

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