子母口貝塚
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概要
出土遺物
発掘調査史
1893年(明治26年)には鳥居龍蔵による採集が行われ、1927年・1929年(昭和2・4年)には大山柏による調査があり、その調査結果を元にして山内清男が子母口式土器を命名した[6]。その後も、1930年(昭和5年)に久本の医師・岡栄一を中心とする「橘樹考古学会」による発掘調査が行われ、また山内自身も調査に赴くなど、数多くの調査が行われていたが、戦災で資料が失われる、当事者が逝去するなどの事態に見まわれ、これらの調査結果がまとまった資料として残ることはなかった[6]。
1957年(昭和32年)2月19日付で県の史跡に指定される[6]。戦後には、盗掘が行われていたことを契機として1967年(昭和42年)に川崎市教育委員会のもと発掘調査が行われ、これが初めてのまとまった報告となった[7]。その後も、1986年(昭和61年)に川崎市市民ミュージアムによる発掘も行われた[3]。現在は子母口公園として整備され、現地保存されている。
