末長 (川崎市)

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末長
町丁
梶が谷駅(2007年5月)
北緯35度35分23秒 東経139度37分04秒 / 北緯35.58965度 東経139.617875度 / 35.58965; 139.617875
日本の旗 日本
都道府県 神奈川県の旗 神奈川県
市町村 川崎市
行政区 高津区
地区 橘出張所
人口情報2025年(令和7年)12月31日現在[1]
 人口 21,858 人
 世帯数 11,465 世帯
面積[2]
  1.291447358 km²
人口密度 16925.2 人/km²
設置日 2013年平成25年)9月24日
郵便番号 213-0013[3]
市外局番 044(川崎MA[4]
ナンバープレート 川崎
ポータルアイコン ポータル 日本の町・字
ポータルアイコン ポータル 神奈川県
プロジェクト 日本の町・字
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末長(すえなが)は、神奈川県川崎市高津区の地名。現行行政地名は末長1丁目から末長4丁目。住居表示実施済区域[5]。面積は1.29 km²である[2]

地価

高津区の中央部にあり、北西では下末吉台地[6]谷戸が入り込んでおり、南東が低地となっている[7]。低地部にはゼネラルの本社があり、周辺も宅地となっている[8]

東急田園都市線第三京浜道路南武線などの交通路が末長を通過し、梶が谷駅京浜川崎インターチェンジなどが所在する。また、二ヶ領用水の分流である根方堀が台地と低地の境を流れている[9]

末長は北端で下作延久本坂戸と、東端で中原区上新城と、南西端で新作・高津区梶ケ谷と接している(特記のない町域は高津区)。

住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、末長1丁目13-7の地点で34万3000円/m²[10]、末長1丁目31-7の地点で29万4000円/m²[11]、末長2丁目33-11の地点は休止[12]、末長4丁目22-39の地点で40万1000円/m²[13]となっている。

歴史

古代・中世

当地からは縄文弥生時代の遺跡が発掘されている[6]。また、田地の地割りが条里制の遺構だと考えられているほか、延喜式の「小高」に関係すると思われる「小高谷戸」の地名が付いていたなど[9]、古代からの歴史がうかがえるが、「末長」の名の初出は「小田原衆所領役帳」に、「稲毛末長」として残る[7]

近世

江戸時代を通して、当地は旗本の国領氏・浅井氏・松波氏による三給の地であった[7]。「新編武蔵風土記稿」では民家71軒[14]。農地は畑より水田が多く[6]、村は、正保年間の「武蔵田園簿」や「元禄郷帳」では508あまり、「天保郷帳」では585石あまり、幕末の「旧高旧領取調帳」では587石あまりというように推移していた[6]。水利として、二ヶ領用水からの分流である根方堀のほか、「池の谷」と呼ばれた現在の梶が谷駅あたりに溜池を設けていた[9]。賦役として、溝口宿品川宿の半高助郷を務めた。品川宿の助郷は負担が重く、何度も免除の嘆願を行なっているが、これが容れられることはなかった[15]

近代・現代

明治以降、当地は橘村の一部となり、のちに川崎市へ合併した。当地では明治頃から養蚕が行われたり、大正末期からは養蚕に変わり野菜栽培が始まるなど、農村として推移していた[8]。しかし、1940年昭和15年)に日本光学(現・ニコン)が水田を埋め立て当地に工場を設置し、海軍の光学兵器の生産を始めた[8]。その結果、1945年(昭和20年)には空襲を受けることとなり、工場が壊滅したのみならず周囲にも被害が出たが、日本光学は丘陵に地下壕を作り生産を続けたという[8]

戦後の1955年(昭和30年)には日本光学の跡地に八欧電機(現:ゼネラル)が進出し、周囲に社宅が建つなど、宅地化が進行していった[16]

地名の由来

地名の由来ははっきりしていない[9]。ただし、いくつかの説が提起されている。

  • 瑞祥地名であるとする説[7]
  • 村域の形状から生じたとする説[7]
  • 丘陵地帯のある地形から生じた「セナガ」が転じたとする説[6]

なお、源義家後三年の役からの帰途に、当地の奇妙な石を見つけて、弓矢を納めて武運を祈り、この地の民が末永く栄えるように願ったという伝承が、「新編武蔵風土記稿」にも残っている[7][14]

沿革

町域の新旧対照

末長のうち住居表示が施行された区域について、施行前のは以下のようになっていた。

現町丁施行日住居表示施行前の字出典
末長一丁目2013年(平成25年)9月24日末長字姿見台・字向台の各全部、末長字久保台・字中原の各一部[23]
末長二丁目2013年(平成25年)11月18日末長字富士見台・字大谷の各全部、末長字久保台・字中原の残部、末長字宗田町の一部[24]
末長三丁目2014年(平成26年)10月20日末長字宗田町の残部、末長字中町の一部[25]
末長四丁目2014年(平成26年)10月20日末長字高ノ面各全部、末長字中町の残部[26]

小字

住居表示施行前の末長には、姿見台・久保台・向台・富士見台・中原・大谷(おおやと)・宗田町・中の町・高の面という小字が存在した[27]

世帯数と人口

2025年(令和7年)12月31日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
末長1丁目 4,440世帯 8,270人
末長2丁目 1,995世帯 3,785人
末長3丁目 2,311世帯 4,838人
末長4丁目 2,719世帯 4,954人
11,465世帯 21,858人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移
人口
1995年(平成7年)[28]
14,469
2000年(平成12年)[29]
15,366
2005年(平成17年)[30]
16,868
2010年(平成22年)[31]
19,450
2015年(平成27年)[32]
21,260
2020年(令和2年)[33]
22,491

世帯数の変遷

国勢調査による世帯数の推移。

世帯数推移
世帯数
1995年(平成7年)[28]
6,521
2000年(平成12年)[29]
6,884
2005年(平成17年)[30]
7,838
2010年(平成22年)[31]
9,185
2015年(平成27年)[32]
10,060
2020年(令和2年)[33]
10,975

学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2024年3月時点)[34][35]

丁目番・番地等小学校中学校
末長1丁目6~10番
40~53番
川崎市立西梶ヶ谷小学校川崎市立宮崎中学校
1~5番
11~39番
川崎市立新作小学校川崎市立橘中学校
末長2丁目1~13番
16番以降
14〜15番川崎市立末長小学校
末長3丁目1~3番
5番以降
4番川崎市立坂戸小学校川崎市立東高津中学校
末長4丁目1~8番
10番以降川崎市立末長小学校

事業所

2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[36]

丁目事業所数従業員数
末長1丁目 184事業所 1,857人
末長2丁目 59事業所 418人
末長3丁目 77事業所 2,689人
末長4丁目 65事業所 606人
385事業所 5,570人

事業者数の変遷

経済センサスによる事業所数の推移。

事業者数推移
事業者数
2016年(平成28年)[37]
379
2021年(令和3年)[36]
385

従業員数の変遷

経済センサスによる従業員数の推移。

従業員数推移
従業員数
2016年(平成28年)[37]
5,440
2021年(令和3年)[36]
5,570

交通

鉄道

当地を通る路線は東急田園都市線南武線の2路線がある。東急田園都市線は当地で丘陵地を通り、梶が谷駅が設置されている。南武線は当地の低地を通るが、駅は設置されていない(南方の武蔵新城駅が利用可能である)。

路線バス

当地で路線バスを運行しているのは東急バス川崎市交通局の2事業者であるが、両者とも梶が谷駅を拠点として丘陵上を結ぶバスと、溝の口駅を拠点として平地を結ぶバスを運行しており、末長の丘陵地と平地を直接結ぶようなバスはない。

道路

京浜川崎インターチェンジ(横浜方面入口)

施設

その他

日本郵便

警察

町内の警察の管轄区域は以下の通りである[39]

大字番・番地等警察署交番・駐在所
末長1丁目全域高津警察署末長交番
末長2丁目全域
末長3丁目全域
末長4丁目全域

脚注

参考文献

関連項目

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